だが誰もが思っていることだろう。
これは休戦であって、終戦ではないのだと。
いつ訪れるか知れない再戦の時に内心で怯え、私たちは今を精一杯に楽しもうとしているのかもしれない。
事実、風の噂で「内紛が勃発しているらしい」だとか、「国境のあたりで何かあったらしい」だとかいったものを聞きつけるたびに人々の心は乱れ不安に揺らめいた。
こんな辺境にろくな噂など届かないし、もし何かが起きてもまず大丈夫だろうとは思う。
しかし私たちが危うい均衡の上でつかの間の平和に興じていることには変わりなかった。

……そう、ここは本当に田舎だ。もともと国境に程近い場所で暮らしていたせいか、余計にそう感じる。
紙媒体は当時から貴重なものだったが、それでも新聞くらいは多少流通していたものだ。だがここでは新聞どころか鼻紙さえ滅多にお目にかかることがない。
もっともたとえ新聞が流通していたとしても、秘密主義で有名な現国王、キリル・コースチン二十一世の戒厳令下では大した記事は出ていないのかもしれない。
かろうじて届く噂話のたぐいも伝聞に伝聞を重ねた結果、ひどくおぼろげか荒唐無稽かのどちらかだ。
ここでは信頼に足るものは、自分で見たものや体験したものだけ。
人々はとても閉塞的な世界で生きている。そんな中で暮らしていると、時間の流れはひどく緩慢だ。
西へ傾いていく太陽に、手をかざしてみた。いつの間にか張りのなくなった肌。
知らない間に私もその流れに呑まれてしまっていたのだろうか。自分の年齢はよく知っていたはずなのだが。

なんだか眠くなってきたので、そのまま目を閉じる。
十分ほどそうしていたつもりだったのだが、ふと目を覚まし腕時計を見て驚いた。
既に時刻は十八時を回っている。――夕食の時間になっていた。
まだ日は昇っているが、だいぶ西に傾いていた。慌てて起き上がり、食堂へと向かう。
三十人以上いる施設の者が全員納まるほどの食堂は、早くも埋まり始めていた。
私は辺りを見回し、空いた席を探した。すると、
「――六年も経てばなあ。そろそろ始まってもおかしくないよ」
ある一角の集団が何やら難しい顔で話しているのを見かけた。


三食の席、特に夕飯時は格好の情報収集の場でもある。
そこでは毎日、各々が聞いた噂話を持ち寄り、真偽のほどを確かめる作業が繰り広げられていた。
街に降りて働く彼らの話は、ほとんどの時間を施設で過ごす私にとって貴重な情報源だ。
今日はその一角が噂の収集所のようで、議題も昼間に私が思っていたこととちょうど重なっているらしい。
これは聞かないわけにはいかないだろう。私は邪魔にならないよう、少し離れた場所にひっそりと座った。 彼らは私に気付いていないようで、会話を進めていた。
「敵国との会談もまた近くにあるっていう話じゃないか。どんどん期間が短くなってるとは思わないか?」
先ほど発言していた、集団の中でも特に若い男がそう呼びかける。
「しかしなあ」、と年かさのある男が髭を撫でた。
「お前は知らんかもしれんが、十年以上戦争を続けてきたんだ。そりゃあちっとは復興してきてるさ。
 だがな、こんな程度じゃ毛ほども役には立つまい? 人も物資もないのに、どうやって戦うんだ」
彼の言葉に頷いてみせるのは、やはり多少歳を重ねた者たちだった。
中には兵士として前線で戦った者もいるのだ。戦争というものを肌で実感し続けた彼らは、他国と戦うことがいかに大変かをよく知っていた。
「でも、本当にそうならこうやって噂になるわけがないじゃない」
反論するのは私と同い年ほどの女性。彼女の目は不安に揺れていた。
「噂なんて、その場のでまかせがほとんどじゃないか。それを全部鵜呑みにするのか?」と、中年の男がこの会を根底から否定するようなことを言った。
彼の言い分は尤もだが、おそらく彼女もそれを理解はしているだろう。
ほとんどがでまかせ。しかし裏を返せば、ごくわずかに真実が混ざっているということでもある。
一番嫌な噂は真実になりやすい。何よりも平穏に対する不信が彼女を不安にさせているのかもしれなかった。
私は黙々とパンをちぎって食べながら、じろじろ見ている印象を与えまいと苦心してその会話を見守る。
見守るだけだ。さっき思ったことも、口に出しはしない。
「噂だけじゃないさ」、と最初の男が語気を強めた。
「最近、食べ物の値段がどこも上がってきてるだろ? 別に異常気象なんて話は聞かないし、戦争の準備で供給が少なくなったって思ったら辻褄が合う」
「考えすぎだと思うけどねえ。値段が上がるのは今に始まった話じゃないもの。
 ……それに、そんなに早く戦争を始めたって何になるって言うの? あっちもこっちも得なんてしないと思うわ」

彼らは、そして私も、実はこの長い長い戦争の理由を知らなかった。
なぜ私たちの国は戦争を続けたのか、なぜ北の国ではなく西の隣国だけと執拗に戦争を繰り返すのか。
首都や都会からの出身者がいないせいなのだろうか。
あるいは兵役に就いた者さえ知らないところを見るに、もはや語られることもないのか、戦争という言葉はあまりに日常に馴染みすぎていて疑問を抱く暇もない。
だからこそこういった議論の場でその議題が戦争に関するものになった時、たいていは尻すぼみのまま、あやふやに終わってしまうのが常なのだ。
戦争を始めたがる理由、何度も繰り返す理由を問われ、誰もが口からでまかせに近い推測を挙げる。
やはり決定打とはならず、やはりこれまでと同じ泥沼の展開になりそうだった。
しかし、
「これは驚きだ。こっちの人間はそんなことも知らないのか」
進まない議論に膠着する彼らの輪に割って入ったのは、私のよく知る顔だった。
グエンだ。
山盛りになった料理を載せた盆を持ち、いかにも驚いたというふうに彼らの顔を眺め回す。
楽しげに口を歪ませるグエンとは対照的に、彼らは皆驚きと嫌悪の混じった表情で彼を見た。
「楽しそうな話だ。俺も混ぜてもらっていいかな」
水を打ったように静まりかえる面々を無視して、グエンは手近にあった椅子を引き寄せ強引に輪の中に入る。
「お前が参加するなんて珍しいな」
軽口を叩いているようにも見えるが、発言した男の顔はこわばったままだ。
今までこういった集まりには興味も示さなかった彼が入ってきたことに驚いているのではない。
彼がそこにいて、口を利いたことそのものに戸惑っているのだ。
「たまには交流もしたいと思ったものでね。そんなに警戒しなくとも、取って食いやしないさ」
グエンは周囲の視線などどこ吹く風らしい。「警戒なんてしてないよ」という弁明の声にも、にやりと笑っただけだ。

集団はしばらく沈黙していたが、好奇心に負けたかそのうちの一人が口火を切った。
「……それで? 知らないって、何のことなんだ」
「言ったじゃないか。そんなに戦争を始めたって何になるの、ってな。理由も知らずに戦ってきたとはな」
やや嘲りのこもった言い方に年配勢の眉が上がる。
何も、そんな好戦的な態度を取らなくともいいだろうに。
私は友人の奇行に内心でうろたえながら、それでも周囲と同じく見守った。確かに彼なら、何か知っているのかもしれないと思ったのだ。
「まあ、俺の意見が正しいと思ってもらっちゃ困るがね。だがたぶん、その噂は正しい。おそらく長くても数年以内にまた再戦の布告があっちから下されるだろう」
グエンは軽く言ったが、その言葉に動揺のざわめきが広がった。
「どうしてそんなことが言えるんだ? それに、敵国の方からだってどうして断言できる?」
「そもそもの始まりは、あっちからの宣戦布告だったからだ」
やはりさらりと、今まで誰も知らなかった事実を述べた。
無造作にフォークで野菜を突き刺しながら、グエンは更に続ける。
「まあ、確かにきちんと布告したのは百年近く昔のことだからな。忘れられてても仕方ないことなのかもしれない。
 だがあんた方は疑問に思ったことはなかったのか? 北の国はちっとも攻撃してこないのに、どうして西からばかり戦争が続くのかをだ。
 西と北の違いとは何なのか、一度も考えたことはなかったのか」
その言葉に気まずい沈黙が流れ、ひそひそと小さな口でざわめきがもれる。
西と北の違いなど考えたこともなかったのだろう。かくいう私もその一人だ。
いくら考えたところで事実がわかるわけではないと諦めてきた。私たちにはそれを確かめる術はないのだから。
「北にはあって、西にはないもの。あっちの人間はそれが欲しくて欲しくてたまらない。
 なぜなら、ないと生きてもいけないからだ。だから瀕死だろうが何だろうが、何度も何度も戦争を仕掛けてくるんだ」
なぞなぞめいた言葉に誰もが答えを探し、首を捻っている。

ないと生きてはいけないもの。
私は何かが引っかかった。さっき言っていたではないか、「食べ物の値段が上がるのは今に始まった話ではない」と。
緑が少ないせいで頻繁に干ばつが起き、そのたびに野菜や肉などといった食材の値段は高騰する。





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