聴覚を失ってから三十年に届こうかという間、私はある感覚を忘れつつあった。
耳を閉じずとも音が鼓膜をふるわせることはなかったし、もちろん現在もそうだ。だから今もその感覚を本当の意味で忘れているといえば、そうなるだろう。
しかし私は、今初めて知った。
聞こえなくとも「うるさい」という状況が、現実にありえるのだということを。

そう、うららかな春の陽気。
砂漠にほど近い荒野の街では、春といえども肌にまとわりつくような熱気を帯びている。
「おーにっさんこっちら! つかまえてごらーん」
が、私たちの暮らす場所は小高い丘の上にある。強めの山風は、春というには過ぎる熱気を追い払ってくれるのだ。
私はこの陽気が特に好きで、今の時分などは洗濯場の軒下で居眠りをするのが恒例となっている。
「あっお前今ズルしただろー、罰として次かくれんぼな」
なぜこの場所かと言えば、風にはためく洗濯物を眺めているのもいいし、街並みもよく見える。それに空も遠くまで見渡せる。
「どこ隠れるの?」
空はいい。ずっと雲を眺めているのもいいし、「教えなーいよ」雲がなくとも澄んだ大気をかみしめながら「どうしよどこに隠れよう」茶色のよく映えた山々を見渡すもよし雨の日は雨「見つけちゃうぞ! 見つけちゃうぞ!」の日でまた趣が「どーこっかなー誰から探そっかなあー」あって、
…………。
ずっと目に入らないふりをしていたが、今の状況を説明しようと思う。

あの日、私が気絶していた間にもう、伝教者二人がここに住んでいいかという提案は出されていて、そしてあらかた審議も決まっていたようだ。
一つに、手を出したのは確かに彼らだが、それ以上の仕返しを(第三者とも言える者が)してしまっていたし、施設は前にも述べたように基本は来る者を拒まない。
また、伝教者二人は教会による正式の証明書を持っていた。信じがたいが二人とも野盗でもゴロツキでもなく教会公認の伝教者だった。
彼らは国民の統一宗教であるキリル信教を広めるため、とは言ってもこの国に生まれた者ならば皆信者ではあるが、その教えを深く大衆に説くために各地を廻っているのだそうだ。
今はここ、山と荒地に挟まれた南西部、海からも遠い僻地であるデントバリーでその役目を果たすよう、上から仰せつかったとのことだ。
二人がかつて根を張っていた場所は、教会本営のある国の中央、首都キーテジだという。少なくともここから五百キロはあるだろう。
もちろんそこから一直線にここへ来たわけではなく、あてどない放浪とも言える伝教の旅をし続けたのだそうだ。
そして根無し草が根を張ろうとする先々で、先日あったようなああいった騒ぎを起こしてしまうのだという。
実際、二人は何度見ても伝教者どころか教会に従事する者とは思えない物腰ではある。
もう一人、キャスにいたってはただのゴロツキにしか見えないのが正直なところだ。もちろん言わないが。
この前ドナから聞いた、聖職者の服を着た山賊という話もおそらくこの二人の起こした騒ぎに尾ひれがついたものなのだろう。

話が逸れてしまったが、彼らが施設への駐留を許された理由のもう一つは、あのマギーという伝教者の性格にもであったのではないかと私は思う。
遠慮も屈託もないが、嫌味や卑屈な態度もなく、ひたすら素直なマギーの性格が、心を閉ざしがちなこの施設の人々の懐に入りこんだのだ。
本人にはその自覚などないのだろうが。

ほとんど受け入れる姿勢だったにもかかわらず、あの場が設けられたのは、やはり私への配慮ということだったらしい。
もし私が拒否すれば、施設の総意として出て行ってもらう、ということにしていたようだった。
結果として、今この洗濯場を陣取って子供たちと右へ左への大運動会を繰り広げているのが、そのマギーなわけだが。
子供たちが和気藹々と遊びまわっている姿はもちろん微笑ましいのだが、何もここでやらなくてもとも思う。
施設の正面玄関はよく開けているし、街へ下りる道中は坂道だが、彼らに遊べない場所などないのだ。
ここで楽しそうにかくれんぼを始めた子供たちは、だいたい十歳前後だ。デリー、シンシア、通りすぎる子供たちの名前を私は心の中で呟く。
特に幼い彼らは、保護者同伴以外で施設から外出することを認められていない。だからここを選んだのか。
どうせなら正面玄関で遊べばいいのにと思ったが、もちろん口には出さない。
最初の鬼であるマギーが全員を見つけた。子供たちは悔しそうに跳ね回り、そして笑っている。
 私は、子供たちの歓声がどのようなものだったかを忘れかけていた。
なにしろ私が聴力を失ったのは、まさに彼らほどの年齢の頃だ。
その頃は自分が子供特有の声を出しているなどと意識したこともなかったし、それに生来内気な性格であった私は外で遊ぶよりも室内で絵本を読む方を好む子供だった。
さらに言うならば、当時は休戦なんて言葉が冗談に聞こえるような、戦禍の真っ只中でもあった。おいそれと外で遊ぶことはできない、そんな時代だ。
だからだろうか、こうして記憶をたどり寄せて聞く、子供たちの歓声が、ぼんやりと霞がかって響いてくるのは……。





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