痛い。
目を開けたことで、私はまたしてもうたた寝をしてしまったことに気づいた。
「どしたの?」
そして、その声がかけられたことで私は一滴の涙を流していることにも気づいた。
曖昧にしか覚えていないが、夢見の悪かったことは間違いない。
男……それに少女。昔の私。それから、私の知らない私もいた。
彼の名前、は、何だっただろうか。彼とは……誰のことだ? 夢の中の人物はすでに私の頭から消え去りつつあった。
それでもなかなか完全に消えようとはしない夢の残滓を引きずりつつ、私はゆっくりと起き上がる。
なんでもない、と首を振った。いやな夢を見たのだ。言わずともわかったようで、私を起こした張本人は破顔した。
「悪い夢でも見たんでしょ? 子供みたい、レンツって」
彼女、妹と同じように私の頭をはたいてきたのはアビィだった。
アリアナの一つ上であるものの、必要以上に成熟した妹とは違いアビィは必要以下の成長しかしていない。
くすくすと笑いながらこちらを見ている顔も、年相応以下ほどに幼い。目は大きく、骨は丸く、頬は赤い。
髪の色や目の形、それにしぐさも似てはいるのだが、姉妹で並ぶと親子ほどの身長差がある。
私は頭を掻きつつ起き上がった。アビィのそばにはマギーもいた。日はさきほどよりわずかに傾き、子供たちはいなくなっていた。
「いやー、疲れました。子供の相手って大変ですね」
汗に濡れた前髪を横に払いマギーが言う。痩せている割には体力があるようだ。伊達に旅をしていないということか。
「途中ですっかりばててしまって、アビィちゃんに手伝ってもらったんです」
アビィがここにいるのはそういうことか。合点すると同時に、彼が暗に私へ非難しているのではないかと、少しだけ思った。
それは明らかな被害妄想に他ならない。
私は珍しく、メモ帳を持参していた。それにキャスはどこにいるのだ、と書いて彼に見せる。
「ああ、キャスですか。あいつはほら、あんまり人と……特に子供と遊ぶのはあんまり得意じゃないんで。たしかドナさん、でしたっけ、あの人に付き合ってるんじゃないかなあ」
確かに、子供はもちろんのこと、他人とあまり関わるのが得意なタイプには見えない。
マギーの発言に、アビィが「レンツみたいね」と茶々を入れた。確かに似てはいるが性格は真逆だ。
それにしても、ドナか。
世話好きのドナのことだから、たぶんキャスをつかまえて引き回しているのだろう。私もそんな経験を何度もしてきた。この前の買出しも然りだ。
「なんです? 気になるんですか?」
多少の間に目ざとく気づいたマギーが、ニコニコと私に尋ねてきた。返事に困ってしまう。

彼らがここに来てから三日ほど経ったが、私はキャスと一切の接触をしていなかった。
原因はまず私にある。私はそもそも、話しかけられないと交流しないたちなのだ。その点だとマギーはとても社交的で、彼とは多少の会話をしてきた。
そう。二つ目の原因は、キャスもまたこちらに話しかけないことにあった。もちろん負い目もあるだろうし、私に対する非難の念もなくはないと思う。
なぜ私が彼に嫌われなければならないのか、その理由はわからない。しかしなぜ私がそう思うのかについては、多少の説明ができる。
というのも、これまで何度か彼の姿を見かけはしたが、彼は私を認めると露骨に視線を逸らされるのだ。
特にごまかすでもなく、私の視界から消えてしまう。
いくら私に対し若干の罪悪感があったとしても、これほど故意に避けることはしないだろう。
だとするなら、個人的に私のことが嫌いなのかもしれない、というわけだ。
さすがにそこまでしなくても、と少し落ち込んだが、改善を図ろうともせず今日まで過ごしてきた。

私はキャスとうまく打ち解ける気がしなかった。それでも確かに、なぜだか彼のことが気にかかっているのだと思う。
もともと感情の起伏があまりないのは自覚している。
それでも出会いがしらに殴られたのだから、もっと反感をもってもいいのでは、と自分でも思うのだが、どうにも彼のことを憎めないでいた。
やはり少し、私と似た雰囲気を持っているからなのだろうか。
じゃあ、完全な和解も兼ねてちょっと探しに行きましょうか、などと言いながらマギーがこちらを促す。
否定する理由はなかった。気乗りもしなかったが。
とりあえず厨房へ歩を進めながら、私はキャスがどんな男なのかを聞いてみた。
「すっごい恥ずかしがりやさんなんだよ」
まず答えたのはアビィだ。特にすることがないらしく、私たちと同行している。
「こないだの夜にみんなから質問されて、顔真っ赤にしてたもん」
「食卓囲って質問責めのやつか。あいつ、あんなに注目されたの人生で初めてなんじゃないかな」
あの外見であの服で、となると、施設の皆も興味が尽きなかったことだろう。
食卓をぐるりと取り囲む人たちの中心に私がいる状況を想像してみた。……私なら青くなるだろう。
「まあ、確かにあいつは人見知りだし、言われてみれば恥ずかしがり屋だなあ。それにあんなナリで、けっこう細かいことを気にする奴なんですよ」
だが宿屋で見た光景も、しっかり周囲からの注目を浴びていたように思う。あれはまた別物なのだろうか。
マギーは続ける。
「もともとね、俺たちはスラムの出身なんですよ。ほら、教会のお膝元って言っても、都会にそういうのってつきものでしょ。
 まあこっちに入ってからはしばらく教会で雑用みたいなことをしていましてね、やっぱりスラムの出っていうのは教会でも受け入れてくれない人がいるわけです。
 あまり気持ちのいいもんじゃないけど、出身が変わるわけでもないし俺は気にしてませんでした。でもあいつがね」
スラムの出身なのか。なんとなく頷けてしまうが、それは偏見というものだろうか。
マギーは苦笑いしつつ、
「いやあ俺頭悪いんで、うまく説明できませんけど。あいつは自分もそうだし、自分のせいで俺が余計に避けられるのが嫌だったみたいです。
 それで、伝教の募集があった時に乗っかって……で、今に至るってわけですよ。あれ、何の話してましたっけ? あー、そうそう、そういう奴なんです」
最後が強引だった気もするが、要するに、キャスという男は外見よりも他人の気持ちを思いやることができる性格であるらしい。
だがその前に彼自身の外見を変えるだけでも、十分周囲への視線を減らせそうなものだ。
私がそう聞いてみると、マギーは頭を掻いた。
「その通りなんですよ、ほんとに。俺も人のこと言えないけど、あいつのピアスのおかげでどれだけ宿に苦労したか!」
でも変えるつもりがないみたいで、そういうところは変に頑固なんですよね、とこぼした。
頑なになるほど、あの外見は彼にとって守り通すべきものなのだろうか。
そういえば、と私はふと思い出す。聞いたところによると、彼らは今年で二十四歳になるらしい。私と十ほども年が離れているのだ。
正直に言えば、実はもっと若いだろうとさえ思っていたが――どちらにせよ、私の年代にはもう理解することのできない、世代の壁があるのかもしれなかった。
アリアナは年の割にかなり落ち着いているが、施設の子供たちやアビィなどと会話していると、時々自分が異国へでも迷い込んだような錯覚に陥ることもある。
彼にとっては世渡りの利便性よりも、彼なりの個性を強調したいと望んでいるのかもしれない。
個性というと、あの外見から想像できるものはなんであろうか。私には攻撃性しか思いつかなかった。それが正解なのか、やはり世代の壁が邪魔をしているのかはわからない。

などと、当初の質問からだいぶ離れたことをひとりで考えているうちに厨房の扉が見えた。
厨房は、当然だが食堂に通じている。というよりも、厨房と食堂の間には扉がないため、半分が仕切られた一つの部屋だと言ってもいい。
それとは別に勝手口も存在した。こちらは外につながっている。元々は食料の搬入などを勝手口からおこなっていたのだろうが、正面玄関と勝手口は正反対の方向に位置している。
そのためもっぱら、買い出しの食料などは食堂から厨房へ持ち運んでいた。昔はこちら側にも道があったようだが、それもとっくの昔になくなってしまい、今では勝手口が本来の用途として使われることはなくなっている。
私たちは洗濯場から中に入ることなく、施設の外壁をまわりこんでここまで来たわけだ。
「なんか変な臭いがする」
扉の前まで立つと、なるほど、鼻をつまむアビィの言うとおり妙な臭いが立ち込めていた。
酸味とえぐみをアクセントにした焦げ臭さとでもいうか、……つまりこれは。






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