キャスは、爆笑を続ける相棒マギーに向かっていた。私が以前目の当たりにした光景と寸分違わず、かたく握った拳を大きくふりかぶる。
彼は本気で、キレていた。
マギーはそれでも笑っていた。避けられるだろうか。
「あーやだやだ人のせい? ヒステリーですかあ? 面白いのに笑って何が悪いんですかあー」
さすが幼馴染とでも言うべきか、彼はその細い体を存分に活かしてキャスの攻撃をヒラリとかわした。よけたこととその合間に発せられたせりふにまたキャスが激昂した。
最初から激昂しているのだが、その触れ幅がみるみる上がっていっているのだ。それは体の動きで見てとれた。
避けて逃げるマギーに食い下がり、その度にマギーがヒラリヒラリと身をかわし、更にキャスの攻撃が大振りになる。いたちごっこだ。
それにしても、この光景にはなんだか見覚えがある。それは

(まるで異国のウナギつかみのような)

ウナギとはなんであったか。
――どうもおかしい。体調を崩したのだろうか。
私が不可解な連想をしている間も、二人の伝教者の罵りあいは続いている。
「言いたくないことがあったらそうやってすーぐキレちゃって、あなた伝教者様じゃないんですかあ? 本当に教会の人間ですかあ?」
幼馴染だからなのかもしれないがマギーの言葉はいささか辛らつに思われた。小ばかにした態度もそれを増長させているのか。
案の定キャスは、何度目かの激昂を見せた。彼の触れ幅はいったいどこまであるのだろう。
「毎回毎回、いちいちいちいち突っかかりやがって、ちったあ黙れよこの男女!」
 え?
「やだー、人の外見的特徴をバカにするなんて、キャスリーンちゃんったら子供っぽーい」
 キャスリーンちゃん?
一瞬キャスの動きが止まる。

「……っせええええんだよその名前で呼ぶなっつってんだろうが!!」

一拍をおいて吐き出された怒号は、耳の聞こえない私でさえ空気の震えを感じるほどだった。たぶん施設じゅうに響いたことだろう。
キャスは肩で息をしている。さすがに限界まで叫びすぎたか。
興奮しすぎて動くこともできない様子だった。息遣いはほとんど獣のそれに近く、マギーを見る目はもはや敵意ではなく殺意ではないかとさえ思うほどだ。
だが、何回か深く呼吸をしたところで彼は自分が何をしていたかに気付いた。まだ顔は赤かったが、眉間の皺はごく軽くなった。
ドナをちらりと見て、ひどく気まずそうに目をそらす。そして私にも視線をよこす。なんだ。どきりとしたが、やはりすぐに逸らされた。
ふだんの無口に戻ったキャスはやはり何も語らない。謝罪すらなく、再び眉に深い皺を作って、ただただうつむいていた。
「叫んで落ち着いたか?」
彼女? 、マギーがさっきとはうって変わって優しく尋ねた。キャスはマギーを見もせず、小さく頷いた。
それからマギーを見上げる彼は、泣きそうな表情を

(どうしてそんな顔をしているの)
(僕、何か悪いことでも言った?)
(ねえ、リズ……)

していた。
ふと、私が彼を苦手とする理由がわかった。彼はまだ、幼い少年なのだ。
怒りだけでなく、悲しみ、苦しみ、そして罪悪感が、決して心にとどまらない。あらゆる感情が常に揺れ動くから、些細なことで怒りを見せるしまたそれもすぐにおさまる。
私は違う。私はずっと同じ感情を、
ずっと、
――マギーはそんな、罪悪感に満ちた少年に向かってこの上ない慈愛の笑みを見せた。
「わかってるよ。お前もわかってるだろ?」
そのせりふにキャスがやおら立ち上がる。通りざまにマギーに何かをささやいて、足はドナへ向かっていた。
「どうも……すみませんでした」
深く腰を折って謝罪する。マギーという闖入者によって完全に腰を折られていたドナは、もはや怒りをすっかり忘れていたようで、その表情は当惑しきっていた。
彼女がかけるべき言葉に迷っていると、
「料理のことも……そうだけど……。口答えっていうか……その……とにかく、本当に、すみませんでした」
普段寡黙なのは口下手のせいなのだろうか、かなりたどたどしくキャスが続けた。
ドナはやはり逡巡していたが、やがて諦めたように深いため息を吐いた。
「いったい、どうしたっていきなりあんなことになったんだい」
彼女の口からはまず疑問が出た。
キャスはその疑問に対し、かなり言葉を選んでいるようだった。重い口を開いて、
「やる気がない、わけじゃなくて……」
それから尻すぼみになってしまい、最終的に押し黙ってしまった。
ドナが片眉を上げる。キャスはまたしても泣きそうに顔を歪め、それをかき消すようにきつく眉を寄せた。
あの顔は彼なりの虚勢なのだろうか。
マギーはそんな彼を心配そうに見ていた。口を出そうか迷い、手をわずかに上げて結局静観を決める。
二人ともころころと表情が変わる。これが普通なのだろうか。私は知らず、自分の頬を触っていた。
人の気持ちの動きはよくわかるのに、自分の気持ちはわからない。あるのかどうかさえも。
なんだか彼らのことが、ひどくうらやましくなった。






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