――ああ、アルバートだ。
黒い布で覆われたそれの中を見たと同時に、レオンは真っ先にそう思ったものだ。
先日のあの四人が軽く見えるほどの無惨な血袋が、今再び彼の前に横たわっていた。
二度目の対面になるが、もう一度あの惨状を見たいとは思えなかった。
「シンディ・グレアム、四十八歳女性だろうということで更に確認を急いでいます」
やはりこの周辺には人がおらず、雨だというのに濃い死臭の中にはレオンと彼の部下であるバジルしか立っていない。
他の面々はちらほらと見えるが明らかにこの血袋を敬遠しているようだった。
「よく身元がわかったな」
「遺体の隣に畳まれていた服が、行方不明時の被害者の服装と一致しましたので」
バジルも吐きそうな顔はしていたが、他の有象無象と比べればはるかに肝が据わっていると言えた。
「体だけ見たんじゃ性別もわからん有様だったしなあ」
傍目から見ればレオンはのんびりと呟いているように見えた。
そうですね、と言いながらバジルが黒い膨らみに近づいていく。
「検分したところ、やはり凶器は不明のようです。鈍器であろう、という程度のことしかわかりませんでした」

同じ屋根の下にいるせいか、むっとした嫌な臭いがよりいっそう鼻を刺した気がした。
シンディ・グレアムとみられる遺体が、薄暗い影を伴って姿を現す。
何も言わず人に見せれば、きっと誰もがこれを本物の死体だとは思わないだろう。
ぐずぐずに赤く変色した出っ張りがまず露出する。そこに絡みつく髪の毛でようやくその物体が頭だとわかる。
「死因も全身打撲によるショック死だろう、ということ以外は言えませんでした。でも、」
レオンも見たくはなかったが、バジルの視線につられて完全に外された布の下を見た。
元から細いとはいえない体つきだったのだろうが、シンディ・グレアムは一回り膨れ上がってそこにいた。
投げ出された裸の手足はまっすぐにのびているが、どこか違和感が残る。
あまりに凹凸がない。その理由は既に、自分自身の手が知っていた。
――骨がすべて砕かれているのだ。恐ろしいほど丁寧に、粉々に。
もう触る気も起きないが、持ち上げれば関節の消えうせた血袋がぐんにゃりと曲がることだろう。
手足だけではなく全身、顔面も含め、皮膚が極力破れないように細心の注意を払ってすべての骨は肉に混ぜられてしまったようだった。

「正直、これはある意味国家を揺るがすほどの異常者だと思いますよ」
吐き捨てるようにバジルが言う。レオンは反応しかねてただ鼻を覆った。
今は頭が向こうにいっているが、その裏側もまた「犯人の異常性」を裏付けるいい証拠になる。
「なぜ被害者の……その、穴という穴を塞いだのか。気味が悪くて考えたくもありませんね」
バジルの言うように、彼女の目や鼻といった顔の穴に始まり、下半身の部位にいたるまで、
それこそ穴という穴がやはり丁寧に縫われぴっちりと閉じられていたのだ。縫合に邪魔な眼球は抜き取られており、行方はわかっていない。
本来なら打撲の衝撃で内容物が出てくるはずなのだが、縫合されたことで体液はほとんど漏れることなく彼女の内側に納まっていた。
「あと、レオン副団長の指摘のとおり縫合部位を一部切開したところ、綿が中に敷き詰められていました」
「そうか」
「自分にはわかりませんでした。なぜ中に何か入っているとわかったんですか?」
淡白な割に仕事熱心な部下の言葉に、レオンは大儀そうに首を掻いた。
「別に、ぴっちりしすぎてると思っただけだ。場数を踏めばバカでもわかる」
「やはり同一犯によるものでしょうか」
「断定はできんが、まあそうだろう。こんな田舎町に異常者がゴロゴロいても困る」
言葉を濁しつつ、湿気った煙草に火をつける。一瞬煙の臭いを感じたがすぐにかき消された。

忌々しげにレオンはテントの向こうを見上げた。
「こんな荒れ地でも雨は降るんだな」
「住人に聞いたところ局地的なものみたいですね。夕方には止むだろうと言っていました」
雨の臭いと混じって鼻が曲がりそうなほどの悪臭が漂っていた。バジルに煙草を勧めてみるも、非喫煙者だからと断られる。
「捜索の方は順調なのか?」
レオンは「出世できんぞ」と軽口を叩きつつ、バジルに進展を尋ねた。
渋い顔をしつつ、バジルがかぶりを振る。
「順調とは言えませんね。この街の人たちは余所者があまり好きではないようです」
「田舎はそんなもんさ。目撃証言もなしときたら人里離れた場所に身を隠してる可能性が高いが、街周辺は」
「今のところ手がかりはありません。そもそも人が住めるような場所がないんです。旧時代の廃墟ばかりで……。
 そういえば、副団長は難民コミュニティの調査でしたね。あちらの方は?」
「……いや。特に何もないな。離れた場所にあるんで兵士を一人警護にあたらせてる程度だ」
「兵士ですか?」
レオンの言葉にバジルが反応を見せた。
「その兵士は大丈夫なんですか? その、もし犯人が現れたとき――」
彼は比較的頭が回るらしい。今はその兵士の心配も混じっているが、それが過ぎると面倒なことになりそうだ。
予言については彼も理解しているが、その裏にあるものについては当然知るはずもない。
施設には得体の知れない何かが渦巻いている。秘密の隠蔽のためもある。聡い者はできるだけ施設から遠ざけておきたかった。
「ああ、俺の知り合いでな。近くにいたんで来てもらった」
レオンは慎重に言葉を選んで煙に巻いた。
バジルは少しだけ怪訝そうに眉を寄せていたが、「副団長が大丈夫と言われる方なら」と引き下がる。
ある程度聡明で、引き際も心得ている。度胸もある。素直にレオンはバジルに好感を持った。
白くなった灰を地面に落とす。激しい雨音に紛れ、火種の消える音が聞こえた。
「新しい被害者が出なければいいがな。使える兵士も減っていっちゃかなわん」
今回の調査に集められた兵士はろくに前線にも出ていないような若い者ばかりだった。
惨たらしい死体を数多く目の当たりにした彼らのうち既に数名が音をあげ始めているのだ。
半分、その場にはいない彼の知り合いの一人に向けて心からそう祈った。
数日前のような笑みはもう浮かんではこない。ただただ、疲れた息が白く雨雲をのぼっていった。






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