「あなたとわたしの出会いについて」



 人生、ほどほどに生きるべきだ。
二流貴族サンディオ家の四男として生まれた俺は、とにかくそう言われ続けて育った。
秀でたものなど一つ、それも天才に負ける程度で良い。父は口を酸っぱくして何度も俺に言い聞かせていたのを、今でも鮮明に覚えている。
「いいか、レオン。この家を継ぐのは兄さんであってお前じゃない。だがお前は貴族の中の一人であることを忘れるな。
 いつかこの言葉の意味を理解した時、お前は必ず感謝できる……いいか、決して目立つな。自分の位置にふさわしい男になるんだ」
父がなぜそう言うのかはわからなかったが、元々特に何の取り柄もなかった俺は父の期待通りほどほどに生きた。
勉強も、音楽も、絵画、社交ダンスや女遊び……何もかも中の上、いや、中程度に終わった。
唯一人並み以上にできたのは剣術だったが、そちらに秀でた次兄に勝つことは一度もなかった。
「少し剣術の達者なサンディオ家の四男坊」
四男より三男に、三男より次男に、次男より長男に注目が集まる。正直、気が楽だった。
何しろ、貴族の会話ときたら自分の家の自慢に、政治のどの利権に誰がありつくかだとか、
下卑て残酷な退屈しのぎの打ち合わせだとか、もしくはお互いの腹の探り合いばかりだ。
そんな神経ばかり使う会話を平然とこなす兄達を素直に尊敬はしていたが、同時に何か超えることのできない距離も感じた。


十六になった俺は既に中堅の立場に慣れ、貴族という立場に飽き飽きしていた。
俺の家族もまた例外ではない。
家族の中に貴族があるのではなく、貴族の中に家族がある。
俺の父親、母親、兄弟、親戚連中は俺の家族である前に貴族だ。その枠の中に入った人間しか、俺は知らなかった。
学校も上流階級専門の学級に入れられ、一般教養やら社交の常識やらを叩き込まれる毎日だ。
級友は自分の地位をかさに着たボンボンか、温室でぬくぬくと育った世間知らずのお坊ちゃんのどちらか。
俺は当然ながら、浮いた。
幸いなことに剣術を嗜んでいたのと、地方では少し名が売れているのとで嫌がらせなどを受けることはなかったが。

日々に何の収穫を感じることもなく、俺はのらりくらりと暮らした。
いつしか貴族を蔑視するようになり、またそんな自分に劣等感を抱きながら、とりあえず剣を振るう。
たとえばとある貴族と、初めて挨拶を交わしたとする。そんな時に俺の受ける世辞はいつしか、
「まあ、十六歳とは思えないほど垢抜けた子だこと」
これに尽きるとばかりに固定された。
垢抜けた田舎貴族。まったく面白い肩書きだ。


ある軍家の一人息子が十一歳を迎えた誕生日パーティに、ほとんどの貴族が招待された。
パーティの開催は午後五時から。もちろんその軍家、セルバシュタイン家の本邸が開催場所だ。
本邸があるのは国土の中心地にある首都セルバス。対して俺の家、サンディオ家は国内でも北西の偏狭に位置している。
それでその日は、朝っぱらから慌しく準備をして、乗り慣れない馬車を駆り出し砂利道を延々と移動することになっていた。

「おいレオン、準備はもうできたのか」
太陽が昇るか昇らないかの時分。パーティ衣装や装飾品をあれこれと談義する家の中で、
俺は一人だけ階段の手摺りに腰かけて本を読んでいた。集中するには大きめの背景音楽だろうが、元から本を読んでいるわけではないので関係ない。
「ダン兄さん」
一歳上、つまり三番目の兄であるダニエルの声に、俺は開いていた本を閉じた。
「準備なら父さんや上の兄さん方がどうにかしてくれるさ」
「うちの末っ子は卑屈なもんだ」
「それはどういたしまして」
ダン兄さんは俺から本を取り上げてぱらぱらとめくる。
「少しは読んだか?」
俺は少し肩をすくめただけだった。その本は目の前の彼に借りた――いや、一方的に借りさせられた本だった。
何しろタイトルからして、読む気にはならないというものだ。「貴君よ、その一族よ」だなんて陳腐にもほどがある。
曖昧な俺の態度に、ダン兄さんはしかめっ面を見せた。
「そんな本を読むだけの学力がないんだよ。返すよ、その本」
「一ページくらいは読んでみろ。そこまで難しい話じゃない」
「そりゃまあ、難しくはないんだろうな」
玄関先で先方のご子息に贈る花がどうのこうのとやかましく騒いでいる父親を尻目に、俺は欠伸をした。
まったく楽しそうなことだ。これっぽっちも難しそうじゃない。
「――レオン。もうちょっと、真面目になれよ」
ダン兄さんの声は、苛立ちを隠せないようだった。
「お前が貴族嫌いなのは、俺だってよくわかってるけどな。それでもお前は貴族なんだ。ガキじゃあるまいし、自分の立場をわきまえろ」
いかにも、不正や不真面目が大嫌いですと示唆しているキッチリ真ん中に分けられた茶髪の主は、ねちねちと説教を始める。
それももう慣れっこだ。
俺は鼻で笑って手摺りから降りた。
「俺が真面目だって? そりゃあすごい」
せっかく最低限の準備をさっさと済ませて、気楽な時間を過ごそうとしていたのに。
裏庭で体でも動かそうと心に決めた俺の背中に、心無い兄の罵倒が降りかかる。
「現状に満足しないから拗ねているなんて、ガキそのものだな。いい加減にしろよ、俺だって――いくらお前が何の――」
つとめて周囲の雑音を聞き取ろうと苦心しても、最後のせりふは耳の奥にまで突き刺さる。
ダン兄さんに向かってひらひらと手を上げたものの、おそらく俺の耳が赤くなっていたことには気付いていただろう。

太陽が東から西へ移動しても、馬車の騒音は朝からずっと続きっぱなしだ。そして夕方近くまで終わらない。
既に尻が痛くなっていたが、俺は朝よりはずっと機嫌良くこの道程を楽しんでいた。
「セルバシュタイン家か……どんな家なのかな」
長兄のジェネは、見たことのない最古の貴族に思いを馳せているらしい。
何とも間の抜けた声に俺は少し笑ってしまった。もちろん口許に手を当てて、欠伸を殺すふりをして、だ。
「伝説とか伝承とか、教科書には今の当主の名前が載ってるくらいだもの。今から緊張するよ」
「お孫さんのアルバートは天才児なんでしょう? 特に武芸が凄いそうね。ハビィちゃんとどっちが強いのかしら」
母もまた箱入り娘の典型で、「ちゃん」付けで呼ばれた次兄のハビィもとても苦そうな微笑を浮かべていた。
ハビィ兄さんはもう二十歳を迎えている上に、顔つきも体つきもどこをどう見たって「ハビィちゃん」という名前にはそぐわない。
「比べないでくださいよ。軍家の子息相手に」
「あら」
カールした金髪をいじくりつつ、母は不満そうに頬を膨らませる。まるで子供のようだ。
「ハビィちゃんが劣ることもないのよ。だってアルバートはまだ十一歳だもの」
「だから困るんですよ」
確かに、そんな年齢差で優劣をつけられてもという話だ。俺はまた欠伸を噛み殺すしぐさをする。
次に父の横槍が入った。
「そうだ。それにアルバート子息は既に軍役についている。実戦のある相手と比べたって仕様がない」
「え、十一歳で軍に入ってるの?」
ジェネ兄さんの疑問の声を聞いて、父は呆れたような視線を送った。
「こんなことは常識だぞ。お前はダンのようにもう少し勉強をする必要があるな」
残念ながら俺も初めて聞いた話だったが、当然、口は出さない。
ジェネ兄さんは顔を真っ赤にさせてうつむいてしまった。一方のダン兄さんはどこか自慢気だ。
「兄さん。三歳でアルバート子息が軍役についた時だって、相当の騒ぎになっただろう」
三歳、ということは俺は八歳だ。が、そんなどうでもいいことはすっかり記憶にない。
いつものように得意気に長々と講釈を垂れるダン兄さんにうんざりして、俺はまた窓の外を見ることにした。
今通っているのは、ちょうど戦禍の跡地と言える荒野だ。錆びに錆びてしまった大砲や、家の残骸がところどころに見える。
十数年前から続いている戦争の名残なのか、それとももっと昔の内戦の爪痕なのかはわからない。
ここは今ドンパチをしている隣国から離れているし、きっと内戦の方なのだろうとは思う。
「右手に見えますのは、およそ百十年前の内戦跡地でございます」 不意に聞こえた小声のアナウンスに、馬車内をまた振り返った。
「ハビィ兄さん」
「楽しそうじゃないか」
さっき苦笑していた次男坊が、長いすの左隣に腰掛けてきた。
「まったく、俺を持ち上げるのも大概にしてほしいもんだ。ただでさえ興味ないっていうのに」
頭を掻くハビィ兄さんに、俺は愛想じゃない笑みを返した。
この一家の中でも、ハビィ兄さんだけは俺と少し似ていた。いや、正しくは俺が兄さんに似ている。
外見もそうだし、性格もそうだ。違うのは立場と、立ち回りの良さ。そして剣術の腕前か。
「俺たちにはどうせ関係もないことだ。陸軍に入るつもりもないし、あんなお偉方に取り入ることなんて絵空事だ」
食事だけは楽しみだけどな、と軽口を叩いてから急に真面目な顔になる。
その視線は窓の外へ向けられていた。
「何だかな……この光景を見ながら、後ろの貴族方の会話を聞いているといい加減嫌気がさしてくるもんだ」
「兄さん、意外とナイーブだったのか」
「うるさいぞ。お前ほどじゃない」
俺も軽口を叩けば、ハビィ兄さんに睨まれた。これだから四男は嫌だ。
「これから出会うのは戦争のドンだ。神様だ。まあずいぶんと楽しみなことだな」
兄さんの愚痴に内心同意しながら、まだ続く戦争の痕と父たちの会話に気が滅入りつつも、馬車に延々と揺られていった。


「退屈そうだね」
午後五時過ぎ。
セルバシュタイン家の、格も質も違う豪華で広いパーティホールに思わず嘆息しつつ、
隅の立食ブースで一人もそもそとポテトを頬張っていた俺に声がかかる。
わざわざこんな、ポテトを食べているような目立たない若造に何の用だと思った。
こっちは意図的に目立たないようにしているというのに。内心舌打ちしてしまったことは隠せない。
「ああ、すみませんね。どの料理でしょう」
それを俺は、恐らくブースの料理を取りに着たのだろうと解釈した。
クスクスと笑う声に、自分がとてつもなく間抜けで素っ頓狂な返事をしたことに気付く。
「何してるの? おかしい人」
ゆるくウェーブがかった黒髪を、肩甲骨ほどまで垂らした女の子が目の前にいた。身長は俺の鼻先くらいで、だいたい百四十センチ程度だろう。
薄いピンクに黒のリボンをあしらった、パーティには少し不向きだが確かに貴族の娘だと証明できるシルク製のパーティドレスを纏ったその子は、
天使のような微笑で俺を見上げていた。つぶらな灰色の瞳をまともに直視して、一瞬めまいをおぼえる。
今まで見たこともないほど可愛い子だった。
「ねえ、お兄ちゃん。一緒に遊ぼうよ」
「……え……」
不覚にも、ドキッとした。小首をかしげる仕草が、驚くくらい似合っていた。
頬にかかる細い髪。合わせて白いうなじが覗く。
――いや、何を考えているんだ、と自分を叱る。この子はどう見たって十歳かそこらじゃないか。
俺はもう十六歳になるのに、と。
「パ……パーティはまだ終わってないよ」
弱い拒否で退く女の子はいない。
「つまらないから。退屈なんだもの」
すねたように唇を尖らせる。
「退屈なんでしょう? 行こうよ。一緒に」
言うなり彼女は、きゅ、と俺の手を握った。

耳の中で、周囲の騒音が時間を止めた。代わりにこめかみの辺りで自分の鼓動がうるさく木霊する。
「脱け出しちゃおうよ」
言い切る前に、女の子は俺の手を引いて足早に歩き出した。
「うわ、わっ」
雑音が急に息を吹き返す。流れていく人、人、人。みんながこちらを見ているような気がした。俺のことを話しているような気がした。
女の子とつながっているところを見る。俺よりもふた周りは小さな手、顔に似合わず歪で硬い皮膚。指の白さがかえって痛々しい。
俺の手は、その子の手が白すぎるせいか赤く見えた。
ガヤガヤとうるさいのに、心臓の音はまだ聞こえた。

ホールの裏門を抜け、見覚えのない場所へ出る。廊下を渡り、階段を上がり、その子は迷い泣く次々と部屋を通り過ぎていった。
勝手を知っている足取り。ここの血縁の者なのだろうか――俺の頭に、そんな疑問を抱かせる余裕はなかった。
「どこへ、行くんだ?」
疲れではない息切れを起こしつつも尋ねる。後姿からでも彼女が笑んだのがわかった
「お兄ちゃんは知らないけれど、そのかわりこれから知るところ」
また現れた廊下の終点に、質素なドアがあった。彼女は同じようにためらいなく開け放つ。






BACK / NEXT





NOVEL-TOP HOME