夜、かつてないほどの来客で埋め尽くされた施設ではレオンと彼の部下であるバジルが苦虫を噛み潰していた。
「――以上、現段階においては誰が犯人であるかははっきりしておらず――」
意味をなさない人々の囁きが大きなざわめきとなり、食堂を縦横無尽に駆け巡って二人の耳に突き刺さってくる。
疲れた顔で枯れ気味の大声を出し状況の説明をおこなうバジル。
「てめえらが証拠の一つも掴めないからこんなことになってんだろうが!」
彼の言葉を遮る怒号に、そうだそうだと賛同の野次が飛んだ。
遮られたことでバジルは更に苛立たしげに頬をひくつかせるが、気を取り直して更に大きな声で呼びかけた。
「――また状況からしても! 皆さんの思っている方が犯人であることはまずありません!」
「何一つできないお前らがそんなこと言って誰が信じるってんだ?」
「あいつらが犯人でなきゃ他に誰もいないじゃないか!」
「ですから外部の――」
「外部の人間なんてお前らしかいないだろうが!」
「そうだ、あいつらでなきゃお前らが一番怪しい!」
バジルが何かを発言するたびに野次が飛び、手痛い言葉も投げかけられ状況は最悪といえた。
ここでバジルが少しでも臆すれば彼らは勢いづくことだろう。無能だ何だと叫ばれて久しい軍の評価が更に落ち、どれだけ正論を述べたところでそれこそ誰一人聞く耳すら持たなくなるはずだ。
不気味なほどに沈黙を保ったままのレオンは、冷静であろう彼が爆発してしまわないようにと祈るくらいしかできなかった。
だがバジルは、彼らの指摘に間髪入れず、
「そもそも皆さんの言う二人には動機がありません!」
次の話題に転じた。街の者、施設の者は軍への糾弾を続けることなく今度は彼の発言に対して野次を飛ばす。
「サミュエルたちはどう説明するつもりだ!」
「ではクーパー氏ほか三名より前の犠牲者についてはどう説明するのですか?」
問いかけに対して更に追求するバジル。そこで群衆に変化が起きた。
「理由ならあるだろう! だってあいつらも皆、あの二人が……」
一瞬静まり返る人々。一様に口を開かせたまま、言いよどんでいるように見えた。

「犠牲者は皆、何なんですか?」
静寂を見逃さずレオンがそこで口を開いた。もう説明はいいと横目でバジルを促す。
ほんの数拍待ってみたが、曖昧なそれを表現できる者はいないようだった。
「我々も調べはついています。犠牲者は全員、常日頃からあなたがたの言う容疑者二人を嫌っていたと」
「そ……そうだ。皆――」
「だから何だって言うんですか? 嫌っているから殺されたとでも? いや面白い」
軽く手でも叩きそうな緊張感のない感想に群衆が再び熱を持ち始める。次は、レオンへと矛先を向けて。
「何が面白いんだ」、「真面目に話す気がないのか」と各々不満をぶちまける彼らを色のない目で見つめ、レオンは口だけでせせら笑った。
「面白いでしょうが。それだとあなたたち皆、殺されて然るべきだってことになる」
笑うからには群衆を黙らせる一手を持っているのかと思いきや、彼は更に人々を焚きつけた。隣で見守っていたバジルがぎょっとして上司を見る。
案の定怒号は勢いを増し、もはや一声を拾うこともできない有様だった。
拾うことはできないまでも、皆言うことは同じだ。
「お前らはそれを防ぐのが仕事じゃないのか? それを面白いだと!?」
「俺たちが奴らに殺されても面白いと言えるのか!」
高いも低いも入り混じった音で食堂が破裂するのではないかというほど、室内が罵詈雑言に包まれる。
見兼ねたバジルは静粛を呼びかけようと息を吸い込むが、レオンがそれを制した。
「あなたたちにお尋ねしますが」
彼はこの期に及んでも必要以上の声をあげず、ただ淡々と問うた。
「あなたたちは他人から嫌われているとわかったら人を殺すんですか?」
あれほど喧しかった場が、水を打ったように静かになる。
「例えば」とレオンは続け、最前の初老の男一人を指差した。
「私はあなたのことが嫌いです。さてどうしますか。殺しますか?」
「軍人がそんなことを言っていいと――」
「話をすり替えないでいただきたい。例えばと言っているでしょうが。それで、あなたに殺意は芽生えましたか?
 ナイフで刺すとかそういう簡単な方法じゃない。じわじわと痛めつけて苦しませながら私を殺そうと思いましたか? 思ったことを実行できますか?
 ぐちゃぐちゃになった私の死体から一部分、例えば目玉を取り出してどこかへ隠して、そして肝心の死体を隠すことはせず最大限に目立つ方法で皆に見せ付けられますか?
 それら全ての作業をたった数時間でこなして何食わぬ顔で平然と暮らし、そしてまた次にあなたのことを嫌う誰かを見つけたらあなたはまた同じような方法で殺しますか?」
畳み掛けるレオンに対し、中には死体の凄惨さを思い出し顔を青くする者もいたが誰一人として発言しなかった。
先ほどの喧騒が嘘のように、不気味なほど静まり返った部屋を見渡し、レオンは皆に「どうですか」と問いかける。
「あなたたちの言っていることはつまりこういうことでしょう。嫌っていた人間を殺す? そんな人がどこにいるって言うんですか」
更なる返しを探す人々、その中の一人が息を吹き返したかのように叫んだ。
「異常な奴らにそんな理屈が通じるわけが――」
「――もしそれが理由だとして、犯人が異常だとしたら。どうして彼らだけを殺したんでしょうかね。
 異常なら見境なく殺すはずでしょう。いや確かに異常だ、殺し方は普通じゃない。だからこそ、その動機を肯定してしまえばこの街はとうに滅んでいるはずだと思いますが」
「私たちが殺されるって、そんなことあんたに言えるはずが――」
「――言いましたけどね。調べてあると。というより昼間の騒動が何もかもを裏付けているじゃないですか。
 ここにいる方たち全員、いや……ほとんど全員、あの二人を嫌っているのは馬鹿でもわかりますよ。嫌いで憎くて恐ろしくてたまらなくて殺してしまいたいのはどちらなんでしょうかね」
多少の野次が飛ぶ。
しかし、その勢いはほとんど死に掛けていた。レオンの暴言にさえ反応が鈍いほどだ。
誰も彼も、図星を突かれた顔をしてまごついていた。
「彼らを嫌うのは勝手ですし、影でどう呼ぼうと私の知ったことではない。確かに敵国の人間がいたこと、それ自体は問題ですがむしろ今まで明るみに出なかったことの方が驚きです。
 敵国の彼については同行してもらうようお願いします、だがそれまでですよ。敵国の者であるかどうかなんて事件には何一つ関係がない。
 もう一人の方についてもそうです。今まで、客観的に見て、彼があなたたちに何か危害を加えたことはありますか?」
「危害なら、十分……」
「視線、とやらですか? 残念ながら私は何も感じない。感じたところで視線が何だって言うんですか。それで人が弾け飛ぶとでも言うのなら軍に欲しいくらいですよ。
 彼ら二人に恒常的な異常性もない、残虐性もみられない、客観的に見て常識の範疇だと断言できる動機もない。極めて善良な民間人に過ぎない。
 仕事をしろとあなたたちは言いましたがね、私は仕事をしていますよ。私は軍人であってあなたたちだけのボディガードではないんです。
 善良な民間人があらぬ嫌疑をかけられて集団で暴行されそうになっているのなら助けるのが当然です。
 ……あなたたちは未だに自分の立場を弁えていないようですが、私たちから見れば二人は被害者であり、あなたたち全員が現行犯の加害者だ」
容赦のないとどめの宣告。
誰しもが言葉も色も失っているようだった。
その内側で渦巻いているのは後悔か、それとも理解されないもどかしさか、あるいは今なお拭い去ることのできない恐怖心か。

レオンは彼らの顔を満遍なく見渡しこそしていたが、個人個人の感情など気にしてはいなかった。
今彼ができることと言えば、全ての被害を未然に防ぐことだ。事情聴取などというものは、事後になってからするものなのだから。
「だけど……」
打って変わって泣きそうな声があがった。群衆の中ほどで、一人の女が不安そうな顔をしていた。
「やっぱり犯人は、捕まっていないんでしょう? また……誰か殺されてしまうかもしれないじゃない」
彼女の言う誰か、とはすなわち自分のことだ。しかしその懸念は当然と言えた。今までで一番真っ当な意見だ。
だからか、レオンもいくらか優しい面立ちをして答えた。
「もちろん今朝の一件を踏まえ、早急に皆さんの安全を確保すべきとの結論に至りました。
 現在総力を挙げて犯人を捜索中です。それまでの間、不都合かとは思いますがしばらくここで避難していていただきたい」
レオンの説明に「いつまで?」、「仕事はどうすればいい」と不満がのぼった。
バジルとともにそれらの細かな疑問や不満をなだめる。あの怒号の嵐を相手にしていたと思うと楽なものだ。
尽きるまで彼らの声に耳を傾けながら、それにしても、とレオンは一人思った。
――そう、普通はただ嫌う、それだけのはずだ。嫌うというより彼らはあの男に凄まじいまでの……凶器を取らせるほどの恐怖を抱いている。
なぜ街の者が皆、あのレンツを恐怖するのかが全くわからなかった。虫を見ただけで卒倒しそうなほど頼りないあの男のどこに恐怖を抱くに足るものがあるというのか。
あの男にあって他人にないものといえば読唇術くらいのものだ。あれのおかげで今朝は少し肝を冷やしたが、やはりそれでもレオンにとって脅威になるとは思えない。
見える、見られている、何もかも。
そんなことがあるはずもない。人間の目は見えるものしか見えないし、まぶたを閉じれば暗くなる。

質疑応答は終わり、バジルを残し食堂を後にするレオン。出口にさしかかったところで事実上の主であるドナと目が合った。
「……そういうことなので、申し訳ないですがお借りします」
簡単に挨拶をすれば、ドナは疲弊しきった様子ながらもわずかに微笑んだ。
「そんなものは構わないさ。それで……あの子の様子は……?」
「ヴァイルさんのことですか? 昼間に見たきりですが、まあ、良好とは言えません。落ち着くまでこちらで様子を見ておいたほうがいいでしょう」
「そう、そう……だろうね。責任を感じていなきゃあいいんだけど……」
軍人への敵対心も忘れ、見るからに気落ちしているドナこそ責任を感じているようだった。彼女はレンツにとって母親同然だという話だから無理もない。
いや、彼女はそもそも施設の母とも言うべき存在だということだから、何もかもに心を痛めているのだろう。
レオンの推察を裏付けるようにドナが続けて言った。
「……グエンのことなんだけどね。あたしが言っても説得力がないかもしれないんだけどさ」
不安げに肩を寄せる姿から、逃げている彼の行く末を案じているのがうかがえた。続く言葉を予想しレオンは遮って、
「大丈夫ですよ。不法入国なので本国へ送還させることにはなると思いますが、身の安全は保障します。不法入国以外に法を犯しているわけでもありませんし。
 送致する前に話ができるよう、上にもかけあってみますから」
レオンにできるのは温情を図ることだけだ。彼の説明にドナは安堵と落胆を見せた。わかってはいたようだが、「そうだよね」と言う彼女は悲しげだった。
「グエンさんとヴァイルさん二人と懇意だったという、あの子供たちの様子はどうですか?」
見兼ねてレオンは話題を変えた。こちらも喜ばしい情報はないようで、ドナは力なく首を振る。
「二人して部屋に閉じこもっちゃってね。誰とも会いたくないって言ってるよ。あの子たちがここへ来た時もああやってたんだけど、あの時はレンツがいたから……」
「……そうですか。心中お察しします。あまり無理をされないほうがいい、今日はもうゆっくり休まれてはどうですか」
「なんだか眠くならないけど、そうだね、早めに休むとするよ。明日から忙しくなるしね。
 ……でも、ありがとうね。あんたがいなかったら大変なことになってたかもしれないんだ」
俯きがちだったドナが顔を上げ、人のよさそうな笑みで精一杯の礼を述べてきた。
レオンはそれに恐縮するでもなく、ただ疲れたままの気だるげな顔で「礼なんて」と謙遜する。ただ手だけが気まずそうに腰のあたりを掻いていた。
「これが仕事ですから。皆さんの言うとおり、本来の事件も解決できていないままだ」
「こんな大変なことが起きたんだ、一筋縄でいくわけもないさ。あんたは頑張ってると思うよ。すまないね、最初に嫌な態度をとっちまって」
腰を掻いていた手が額へのぼり、生え際のあたりを引っかき始める。彼の手が示す感情に気付いたか、ドナがそこで初めて無理のない笑みを作った。
「いや……鈍感な方なんで。できるだけ迅速に解決できるよう努めます」
「あんたも若いからって無理しないようにね。ああ、引き止めて悪かったね、仕事も残ってるんだろう?」
「大丈夫です、ありがとうございます。では……失礼しました」
徐々に言葉の角が取れていくドナから逃げるように半ば言い捨て、レオンはそそくさと退散した。
街の者と施設の者、兵士たちでごったがえす狭い廊下を進み外に出るなり煙草に火をつける。
一度教会へ戻って様子を見た後、またキャンプへ帰って捜査を進めなければならない。睡眠の入る余地などないに等しかった。
精神と肉体の疲労によってすぐそこまで来ている眠気を追い払うように深く煙を吸い込み、そして吐き出す。
「あれは参るね、まったく」
慌しい兵士たちを尻目に一人丘を下りながら、レオンは殊更に大きなため息をついた。
「うちの母親より母親らしいじゃないか」






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