「い、や、だ」
 景山の強いアクセントのこもった声は、嫌でも耳に入った。
「嫌だよめんどくさい。俺、西原のこと好きなわけじゃないし。女は別に不自由しないし」
 ひどく冷たい景山の声が、おそらく一字一句、西原に突き刺さっていることだろう。
「その他大勢の女の中の一人になりたいって言うんだったら止めないけどさ。あ、それでもいいの?」
 教室の中で、一人の足音がこだまする。オレは反射的に座り込む生徒たちの中にまぎれた。
 ドアが勢いよく開いて、西原が飛び出していった。
 西原のあとを追いかけようかと思ったが、何となく、教室の方を覗き込む。
 景山がめざとくオレを見つけて、呑気に手を振ってきた。
「俺は気にしないで。帰るなり電話待つなり追いかけるなり、お好きにどうぞ」
 ポケットに手を突っ込み、景山はしまったという顔をした。
「ごめん、菓子切れた……」
「別にいらないよ」
 俺は景山には目もくれずに、そのまま西原の後を追いかけた。

「菓子切れたなあ……」
 聡は教室の外から注がれる視線も気にせず、腰のあたりで汚れるチョークの粉も気にせず、黒板にもたれかかった。
 西原ひろみの告白を断るための勇気づけにヤケ食いしてしまってせいで、ポケットの中に詰め込まれていた菓子類は全て底を尽きてしまった。
 普段日常的にあるものがなくなるのは、妙に空々しい。
「菓子、切れた……」
 聡はぼんやりと同じことを呟いた。
 それしか言うことがない、というのもある。
 ――寄って来る人間を拒まなかっただけなのに、いつの間にやら女たらしと呼ばれるようになってしまった。
 本人はそれぞれと付き合っている気はないし、たとえ恋人のような振る舞いをしたとしてもそれはそれで割り切っていた。が、それは聡だけだったらしい。
 内向的な性格のせいか男はめったに寄り付かず、女ばかりが寄って来る。人から嫌われたくないがためにとった行動が逆をなすとは思いもよらなかったのだ。
 今は今で開き直っているため、いっそうたちが悪いのかもしれないが。
「それにしても……」
 菓子が切れたことで若干弱い語調になりつつも、聡は呟く。
「初めてこういうの、断ったけど……辛いなあ……」
 手ひどく断ったとはいえ、まさかあんな形で出て行かれるとは思っていなかったのだ。
 ポケットの中を無意味に探りながら、
「先輩に、電話しようかな……」

 西原の後を追いかけたはずが、どこを探しても西原の姿が見えない。
 さんざん校内を捜し回ったあとで、もう家に帰っているのかもしれないという結論にたどりついた。
 仕方なしに荷物を整理して、何とはなしにポケットの中に手を突っ込む。
「ん?」
 触りなれないビニールの感触。引っ張り出してみると、飴玉だった。
 たしか、景山が頻繁に食べている飴だったはずだ。それがどうして、……ああ、そうだ。
 だいぶ前にもらったものを食べずにそのまま忘れていたんだった。
 飴玉の包装を破ると、中から黄色の飴玉が出てくる。レモンかと思ったが、マンゴー味だった。
「こんなの、予想つかないだろ」
 思わず独りごちた。
 校門を出てから早速、携帯を開く。不在着信が五件も入っていた。
 西原ひろみ、西原ひろみ、西原ひろみ……。どれも同じ相手からだ。
 こっちから電話を掛けなおす。歩きながらになるが、かまってなんかいられない。
「もしもし」
 西原は三コールもしないうちに出た。
「あ、西原?」
「うん」
 早速、お互いが押し黙る。
「駄目だったよ」
 西原が口火を切った。
「何が……?」
「景山くん。振られちゃったんだ」
「ああ、うん。知ってる」
「見てたの?」
 ふいに、電話を切ってしまいたい気まずさに襲われた。
「ごめん」
「ううん。ひどい振られ方だったでしょ? なんか、辛いっていうより、びっくりしたのが強くて」
 ほんとにびっくりした、と言って笑う西原は今、どんな顔をしているんだろうか。
 電話って便利だ。顔が見えないから。同じぐらいに、不便だ。顔が見えないから。
「西原」
「何?」
「ごめん」
「何が?」
 とっさに、うまい言葉が出てこない。
「井東先輩とか……、イライラして、ひどいこと言ったりとか……。すみません」
 出てきた言葉がこうなのだから、オレは始末に負えない。これじゃあ、まるでオレが井東先輩のこと大好きなんだとか、余計に勘違いされてしまうじゃないか。
 西原は弱く笑った。
「何、すみませんって。……いいよ、もう気にしてない。それに、佑介に言われたから行動できたんだもの。でも、ありがとね。私もごめん」
 ――ああ、謝罪が相殺されてしまった。
 西原が謝るべきことじゃない。西原が謝ったら、オレはあと何回謝らなければならなくなるんだろう。いや、何回謝るとかいう話じゃない。
 オレが、オレが最初から勇気さえ出していればこんなことにはならなかったのかもしれない。
「気にするなよ」
 違う。オレが言いたいのはこんなことじゃない。
 それでも西原は電話越しに、風邪をひいてくれた。
 何度もしゃくりあげながら、
「佑介と付き合いたかったな、私も」
 そう言うのを聞いて、オレは結局今回も、勇気を出すことを見送った。
 だって今告白なんてしたら、俺は本当の卑怯者じゃないか。





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