「もしもーし。佑介くん?」
「ども」
夜。少し鼻の詰まった声で、オレは先輩へ電話をかけた。
自分から電話をかけたわけじゃない。先輩がメールで、電話をしてくれないかと言ってきたからだ。
井東先輩はすぐに疑問系の唸りをあげ、
「あれ、佑介くん。風邪ひいた?」
まずい、泣いたのがばれてしまう。
「そ、そう言われてみたら確かに少し前からちょっと喉が痛いかな? あは、ははは」
「大丈夫? こじらせる前に薬飲んで、早めに寝た方がいいよ」
意外と親身なアドバイスを受けてしまって、ひそかに良心が痛んだ。
「いや、俺はどうでもいいんですよ。先輩、どうしたんですか?」
ひょっとして、景山と何かあったんじゃないのか。オレは恐れ半分、期待半分で先輩の答えを待った。
「ううん、別に何もないよ。受験も専門学校だしね」
心の中で脱力する。
「じゃあ何しに電話してきたんですか」
「用事がないと電話しちゃいけないってわけじゃないでしょ? いいじゃないの、無駄話も」
「電話代、オレ持ちなんですけど」
「男が固いこと言うんじゃないわよ」
「まあ、いいですけどね」
直後に、お互い黙り込んでしまう。こういうときに限って相手の間がうまい具合に自分の間と重なってしまうものだ。
オレはなんとなく時計を見た。午後八時。あの時からもう二時間も経ったのか。
「佑介くんさあ」
「えっ?」
ぼそりと耳に届いた先輩の声が幻聴のような気さえしてしまって、思わず聞き返した。
「結局どうしたいわけ?」
二時間前に自分の言ったせりふが重なる。
「……どう、って」
「そのままよ。ケンカ中なんだっけ? ま、いっか。聡くんから聞いた話だと、なんか、いろんなところで中途半端だそうじゃない」
聡。景山の名前が出てきて、一気に心中が曇る。
「景山は関係ないです」
きっぱりと言い切った。が、先輩は電話ごしに朗らかな笑い声をあげた。
「誰から聞いたか、なんて関係ないのよ。それこそね。っていうか、そんなに反応しちゃうなんて怪しいなあ。何かあったでしょ、あの西原って子と」
図星を突かれてうまい言葉が出てこなくなってしまう。
先輩はふいに優しい声になった。
「いいんじゃないの、辛い時は誰かに相談したって。傷の舐めあいも必要だよ。私でよかったら言ってごらん」
その声があまりにも優しくて、気が付けばオレはさっき起きたことの一部始終を延々と先輩に話してしまっていた。
さらにひどいことには、話している途中でさえ後悔が波のように押し寄せてきて、結局風邪をひいたというごまかしがきかなくなってしまった。
情けなくも話し終えた後、先輩はしばらく黙っていた。
だしぬけに、
「卑怯者」
「……先輩」
先輩が笑う。
「いやごめんごめん。つい素で言っちゃった」
素で言われただけに、ぐさりと突き刺さった。
「でも実際ねえ、佑介くん。人のこと言えないんじゃないの?」
「人のこと、ですか」
「そうよ。甘ったれてる、とか何だとか。何年も片思い続けてて一度も行動を起こしてない奴の言うせりふかって感じ」
オレは黙ったまま、先輩の言葉を待った。
「佑介くんは、西原さんの気持ちを否定できるの? 聡くんに話し掛けたくてもできないって気持ちが全くわからないの?」
「いや、でも」
その気持ちはよくわかる。わかるけど、
「相手が」
「相手が聡くんだから嫌? それこそ甘えじゃない。甘え以外の何者でもないわよ。聡くんだと何が嫌なのか言ってみなさいよ。友達だから? それとも、女遊びばっかりするから?」
答えるのには、少しためらった。
「両方、です」
「そう。じゃあ、嫌だから突っぱねるわけね。西原さんの気持ちを否定するわけ。そんなの卑怯でしょ? 西原さんのことなんてこれっぽっちも言えた義理じゃない。甘ったれてるの」
今度は、全く答えることができなかった。
先輩もオレの言葉を待っていてくれているのか、受話器からは小さなノイズしか流れてこない。
そう言われてみれば、自分で自分のことをときほぐしてみれば、オレはものすごく理不尽なことを西原に言ってしまったんじゃないだろうか。
そうなのか。そうなのか?
「でも!」
思わず声を張り上げてしまい、慌てて受話器に謝った。
「でも、実際、不安です。景山はやっぱり……あんなだし、あいつ、オレに宣戦布告してきたんですよ」
「バカ」
先輩は初めて、声を荒げた。
「私を誰だと思ってるの? 聡くんの彼女なのよ。私が信用できないってわけ?」
正直、信用……というよりも、景山が信用できなかった。
「私を信じなさいよ。聡くんと付き合えるかどうかってのは別問題じゃないの。それにね」
唐突に声が途切れる。電波が悪いのかな、と思って耳を近づけたとたん、
「友達をもうちょっと信用しなさい!」
鼓膜をつんざく声が響いた直後、電話回線の切れる音が延々と流れた。
「おはよ」
いつも通りに挨拶してくる景山。オレは不承不承ながらも返事をした。
すると景山は、予想外の表情をしてオレの顔をじっと見てきた。
「なんだよ」
「冷戦は終わったってわけか」
景山は、とても嬉しそうな顔をしていたのだ。
「いや、参ったね。俺、人付き合い悪いし性格も悪いからさ、話してくれるのって佑介ぐらいで」
あまりに毒気のない顔にこちらの毒気もすっかり抜かれてしまい、反論や何やらの言葉が出てこないまま、席に着いた。
「で、反省はしたってわけ?」
何気ない顔で景山が、机の上に古典のノートを置いてきた。
オレはとっさに反応できなかった。
「反省?」
「あ、もしかして忘れてる」
「いや、ちょっと、何が? 何の反省?」
「忘れてるんだねえ。というか、ケンカの理由を忘れるとかどうよ」
「そんな理由だったっけ、おい景山、何なんだってば!」
何度景山を問いただしても、景山は底意地の悪い笑顔でけたけたと笑うばかりだった。
今日は西原を迎えに行って、さっさと謝ってしまおうと思ったオレは、放課後掃除が終わってから一目散に西原のいる教室へ向かおうとした、のだが。
運の悪いことに通りすがりの先生につかまってしまい、印刷室で印刷したプリントを教員室へ運ばされる羽目になった。
急いでいたのでさっさと終わらせ、焦る気持ちを抑えつつも階段をのぼり西原の教室へたどりつく。
教室の前で、数人が座りこんで何かを一心に聞いていた。連中はドアの前に座っていた。
「何やってんの?」
そのうちの一人にたずねると、そいつは興奮した顔で、
「クラスの西原が、五組の景山に告るんだよ!」
時間が、止まった。
が、そう思っているのはオレだけであって、たしかに教室の中からは西原の声が聞こえてきた。
「……くんは、付き合ってる人……いるの?」
思わず周りの連中よろしく、壁に耳を当てて集中してしまう。
景山と思われる相手の声は、長い間沈黙を保っていた。
「今はいないよ」
それは間違いなく、聞きなれた景山聡の声。だが、その言動に疑問を抱いた。
――今はいないって? 付き合ってる人が?
「でも、井東先輩と付き合ってるって」
「それは噂だろ? 先輩は今は誰とも付き合ってないよ。俺は相談を受けただけ。先輩が前付き合ってた、佑介のことについて」
耳を寄せていた連中が一斉にオレを見た。
「佑介が? 先輩と?」
西原の声はひどく小さくなった。
「そんなこと、一度も言わなかったのに……」
そんなこと言えるはずがない。いや、言えるはずが、なかった。
「言わなかったのにも理由があるんじゃないの? そこは自分で考えてみなよ」
「ゆ、佑介は今は関係ないの。景山くん、今、付き合ってる人いないんだよね? あたし」
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