「聡くん、佑介くんの好きな人って知ってる?」
 自転車を押しながら、井東圭子は隣の後輩に切り出した。
 後輩、聡は退屈そうにあくびをしながら、ポケットからガムを取り出し食べる。
「好きな人? あんなの一発でわかるじゃないですか」
「だよねえ」
 圭子がおかしそうに笑うのを、聡はまじまじと見つめた。
「なんだ。おかしいと思った」
「何が?」
「やっぱり先輩、知ってたんじゃないですか」
「そりゃあね。彼女置いてその子と帰っちゃう神経には驚いたけど」
 確かに、と聡もまた笑った。
「あ、ガムいります?」
 圭子はガムを受け取り、聡と同じく口へ放り込んだ。
 しばらく二人の間にはガムを噛む音、そしてオレンジの匂いだけが取り巻かれる。
「聡くんと佑介くんって、似てるよね」
 やがて圭子がぽつりと言った。
 聡は意味深に微笑んだ。
「どこがですか?」
「卑怯なところ」
「そりゃひどい」
 圭子は大げさに溜め息をついて肩を落とす。
「それはこっちのセリフじゃないの。佑介くんは本命のことをごまかすために私を利用するし、聡くんだって」
「俺が何か?」
「……私、きみが好きなんだけど」
「知ってますよ」
 飄々と答える聡は、ガムを吐き出しもせずにチョコを食べる。
「佑介くんには、きみと付き合うことにしたって言っちゃったんだよね」
「知ってますよ」
 しばらく、沈黙が流れる。
「うーん、佑介くんと真逆だから似てるっていうか」
「まだ何かあるんですか」
 聡は少し面倒そうな声を出した。
「女の子は話が長いのよ。聡くんの場合は、本命がいないから女遊びするってところかしら」
 聡は押し黙った。
「いっつもつまらなさそうな顔してるもの、聡くんって。吹奏楽だって上手だけど、楽しくてやってるわけじゃないんでしょ?」
 圭子の言葉に、聡は鼻で笑う。
「まあ、よく人を観察してるもんですねえ」
「それしか能がないからね、私は。楽しそうな時って言ったら、ほんとにチョコとかガムとか食べてるときぐらいかな。いや、あれは幸せそうって言ったほうがいいのか……」
「先輩と佑介のドロドロした場面を見るのも楽しかったですよ」
「佑介くんと違うところって言ったら趣味が悪いってところかしらね」
 下り坂にさしかかり、聡は一台の自転車を押そうとブレーキをかける圭子の手をとった。
「後ろに乗ってください」
 自転車にまたがる聡の言われるままに、圭子は後ろの荷台に腰を降ろした。
 聡が足を離すと、自転車は徐々に加速していく。聡はハンドルだけを握り締め、ブレーキには指さえかけなかった。
 重力にまかせて、速さの度合いは弧を描くように強く大きくなる。後ろの座席だというのに髪を流す強い風は、爽やかというよりはおそろしいほどだ。圭子は思わず聡の腰のあたりにしがみついた。
「ちょっと、ブレーキ……!」
 圭子が叫ぶも、聡の乗る自転車はいっこうに速度を緩める気配はない。すでに坂を越え、平らな道に出ていたが、すぐそばは交差点だ。
 そこで唐突にブレーキレバーが引かれ、けたたましい音とともに自転車が減速をはじめる。
 聡が自転車を降りて圭子までをも引きずりおろした時でさえ、圭子の心臓は早鐘のように鼓動していた。
「新しい世界が見えるもんでしょう?」
 微塵の恐怖も感じさせない笑顔で、聡は圭子の背中を軽く叩いた。
 圭子は何度も深呼吸しながら、
「死ぬかと思ったわよ」
「さんざん好き勝手言ってくれた仕返しですよ」
 紫色の飴玉を舐めはじめる聡に蹴りを入れてやりたいと真剣に考えた。
「今度から聡くんの後ろには乗らないことにするわ」
「当たり前ですよ。自転車の二人乗りは違法です」
「……わかった。降参。飴ちょうだい」
 圭子は両手を挙げた。その手に飴玉が投げられる。
 自転車をそのまま聡に押させつつ、圭子はただ黙って飴を舐め道を歩いた。
 ――佑介くん、どうしてやろうかしらね。
 当て馬に自分を利用した佑介は、どうすれば前を向くだろうか。あの卑屈で臆病な性格はどうにかならないものか。
 単なるお節介で、圭子は佑介を支援しようと思っているわけではない。事実、圭子もまた佑介を当て馬に利用していたのだから。
 一種の贖罪のようなものだ。同罪であっても、気がすまない。
 それ以前に、友達としてならば、圭子は佑介を好いてもいた。
 静かな住宅街のある交差点にさしかかったところで、
「先輩。俺、楽しいと思ってる……思えたものはもう一つあるんですよ」
 聡は自転車を圭子に渡した。
 ここで聡と圭子は道が別れる。
 聡はようやくガムを口から包み紙へ吐き出し、別れ際に言った。
「友情、とかなんとか言うやつですけどね」




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