そして今日は、久しぶりに西原が相談があるらしく、一緒に帰る日だった。
 吹奏楽の練習もそこそこに、期待などできそうもない内容だとわかっていてもいつの間にか期待してしまっている自分を落ち着けながら、鞄を肩に負う。
「もう上がる?」
 景山がトランペットから口を外し、オレに聞いてきた。頷いて、西原を待たせてある教室へ向かおうとする。
「じゃ、俺もそろそろ上がろうかな」
「やめろよ。大会近いだろうが」
 慌てて景山を引き止める。
「それは佑介も同じじゃん」
「佑介くんを聡くんと一緒にしないの」
 ふいに井東先輩が割って入った。
「その言い方はひどいですよ、先輩」
「あら、事実じゃない? 片やソロを任される有望なペットのホープ、片や単なる一吹奏楽部員、じゃね」
 あまりにさっくりとした言いぶりに思わず笑ってしまう。そんなオレを見て先輩がわざとらしく目をつりあげた。
「ほら、急いでるんじゃないの? ぼさっとしてたら練習に引き戻すよ。行った行った」
 先輩に追い出される形で、オレはなんとか音楽室からの脱出に成功した。
 もしかしたら、井東先輩は助けてくれたのかもしれない。いや、詳しい事情だとかそういったことは先輩にも言ってないから、単なる偶然の方が強いけど。

 ちょうど西日の射した教室に、数人の生徒がぼんやりと談笑している。
 西原はオレの姿を認めると、手を上げた。
「じゃあね、ばいばい」
 友達に別れを告げて、駆け寄ってくる。
「ごめん、遅くなった?」
「そうでもないよ。帰ろっか。相談はいつもみたいに帰り道でね」
 まるで彼氏彼女、のようなシチュエーションだったのに、西原のこの一言で急に醒めた現実へ引き戻された。
 たいした話もしないまま、校門を出て往来の信号へさしかかったところで西原が口を開いた。
「最近、景山くんが話し掛けてくれるからいいんだけどね……」
「ああ、うん」
 オレのしらけた声にさえ気付かず、西原は切々と自分の悩みをぶちあける。
「でも、やっぱりさ、話すって最初の段階じゃない。次に何かした方がいいと思うんだけど」
「次?」
「そう。それに、話すって言っても英語の時間だけだし。最初はそれでものすごく嬉しかったのになあ」
「次って、たとえばどんな」
 西原は少し考え込んだ。うまいぐあいに信号に引っかかり、立ち止まる。
「……プレゼントとか? 違うかな」
「さあ」
 純粋にオレは、肩をすくめるしかなかった。
 西原はオレにすがりつくようにして、
「佑介、景山くんの誕生日とか知らないの?」
 この言葉を聞いたとき、なぜだかわからないが、無性に胸がむかついた。
 オレがどうしてこんな相談を受けなくちゃならないんだ?
 どうしたって「こんな相談」を律儀に受けているんだ?
 信号が青に変わる。歩き出した西原は、立ち止まったオレに気がついて不思議そうに見た。
「お前さ」
 戸惑う西原にかまわず、心内にたまった毒が少しずつ溢れ出してくる。
「オレを何だと思ってるんだよ」
「佑介? どうしたの?」
「オレはあいつのダシか? 足がかりか? 誕生日ぐらい自分で聞けよ。それぐらいもできないんじゃ意味ないんじゃないの。だいたい、メールでも話聞いてても、「景山くんが話し掛けてくれた」ばっかりだよな。自分から話し掛けたことは?」
「……佑介?」
 少しおびえた西原の目に心が痛んだが、もう取り返せない。毒は溢れるべきところまで溢れてしまっているのだから。
 信号がまた赤になった。
「甘えてるんだよお前。自分から動こうともせずに、相手とか居心地のいい人間に寄りかかって甘い汁吸ってるだけじゃん。自分はそれだけで幸せかもしれないけどな、自分以外が全員同じ気持ちだって思うなよ」
 車が止まる。人が止まる。自転車が止まる。西原の視線も留まる。
 オレの口と鼓動だけは止まっていない。
「どうしたの、あたし、悪いこと言った?」
 西原が小さな声で聞いた。弱く震えた声だ。
「そう思ってないんなら、悪いことなんてひとつも言ってないんだろうな」
「何よ、だって、いきなり態度……」
「変わってない」
 西原の顔がゆがむ。
「ふざけないで! こっちは真面目に相談してるのに」
「ああ、真面目に相談してるんだろ? それならそれでいいよ。真面目にオレに相談して、それが何になる? 前、お前、言ってたよな。オレに相談するのは変に気を使わなくて済むからだって。それこそ甘えなんだよ。オレなら自分にとって不利なことは言わないだろうって思ってんだろ?そうだよな、何しろオレは――」
 ゆがんで、
「――真面目に答えてやろうか? お前は単に恋してることが嬉しいだけのガキなんだよ。オレに相談して、何になる? ……何になるんだよ。景山と話して、自分から糸口を見つけて、それで本当に困ったときに相談するならオレだってかまわない。でも違うよな。正直、うざい。それに自分と同じ気持ちの奴にも気付けないようなら、多分景山にも」
「もういい。もういいっ!」
 目から涙が溢れるのが、スローモーションで見えた。
 溢れた毒を溢れただけ垂れ流したオレは、即座に罪悪感と気まずさに襲われた。
 口をしっかりと閉じて、怒った表情のまま泣く西原を目の前にして、胸のむかつきだとか今までの不満だとかが一気に吹っ飛んだ。
 でも、それはもう遅い。
「もう相談しない。佑介はしなかったもんね。私が悪かったんでしょ、ごめんね。ばいばい!」
 踵を返して走り出す西原を追おうにも、足が地面から離れてくれない。
「西、原っ、あ…………ごめ」
 知らない人たちの視線を感じる中、たったひとりの世界で謝ったって、意味がない。




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