「オレの話はどうでもいいから」
 気まずさを紛らわせるために、オレは口火を切った。
「結局、どうするんだよ」
「どうするって?」
 西原は心底不思議そうな顔で聞いた。
「いや、景山。あいつ多分、結構もてると思うよ。お前はお前のやり方でかまわないけど、何かしないと誰かにとられるんじゃないか?」
 こう言いながらも、内心は何もせずに諦めてほしい気持ちでいっぱいだった。
 景山は本当に、やめてほしい。友達としてならオレは景山が嫌いではないから、なおさら、やめてほしい。
 黙りこむ西原を見て、オレは自分なりのフォローを付け加える。
「オレもできるだけ、景山に話聞いたり情報探ったりしてみるからさ。いいじゃん、純愛で。やってみろよ」
 自分で言ってて恥ずかしくなりながらも、オレは必死だった。実際、景山には個人的に接触するつもりではある。
 西原は不安を混じらせながらも、
「……うん。頑張ってみるよ。ありがとね、佑介!」
 そう言って笑った。

 教室へ入ると、景山はもう席についていた。
 オレがドアを開ける音を聞いて、何人かが教室の後ろを振り返る。そのうちの半数はオレを確認すると顔を元に戻すが、数人かはそのままオレに声をかけてくる。
 毎朝と同じように、それぞれ挨拶を返した。
 今の席は景山のすぐ後ろの席だ。ヘッドホンをつけて化学の宿題をやっつけている景山をちらりと見やり、オレは鞄を席に置く。
 同時に、景山が振り向いた。
「おはよ」
 こいつは後ろに目でもあるのかと驚いてしまったせいで、一瞬挨拶が遅れる。
「昨日さ」
 景山はヘッドホンを外し、ポケットから一口サイズのチョコレートを取り出した。
 こいつはどうも相当の甘党らしく、いつも何かしら菓子を口の中に入れている。
「昨日?」
「最後に来た女子。けっこうよく見るけど、誰。彼女?」
 鞄から取り出した教科書を思わず落としそうになった。
「違うよ」
 平静をできるだけ装って答える。へえ、と景山は意味深に相槌を打った。
 チョコレートの匂いが鼻をかすめた。
「いる?」
 気付いたように景山がチョコを差し出す。オレは断った。
「じゃあ、あの子が佑介の好きな人ってわけか」
「何言ってんだ」
 オレの抵抗にも、景山は意地悪く笑った。
「お前の対応が全然違うんだよ。井東先輩と、っていうよりあの子と付き合ってるって言った方が信憑性あるから」
 景山を無視して、古典の宿題を机の上に広げる。今度の授業で当たりそうなところを重点的にやるつもりだった。
 古語辞典を取り出して机のスペースに置こうとした瞬間、景山が自分の古典のノートをそこに置いてきた。
「そこ、昨日やったから見せてやろうか」
「自分でやるよ。お前、化学の宿題はいいのか」
「今終わった」
 飄々と答え、景山が新しいチョコをまた口に放り込む。
「お前も大変だな」
「何が」
 古語辞典を開いて単語を調べるも、まったく頭に入ってこない。西原の好きな人とやらが視界にちらついて集中できなかった。
「井東先輩、寂しそうにしてたなあ」
 わざとらしい景山の言葉に、思わず手を止めて睨みつける。
 普段友達と接するぶんには、少し独特だが景山はなんてことはない人間だ。
 だが、ふとした時に突然嫌味ったらしくなったり、冷酷なことを言ったりする。今の景山もまた、計り知れない笑みをもってオレを見ていた。
「何が言いたい?」
「あの子、西原だっけ」
 景山が西原の名前を知っていたという事実に少なからず驚いた。
 オレの表情の変化を目ざとく見つけ、景山は目を細めた。
「英語の授業で隣の席なんだよ。西原さ、今、好きな人とかいるの?」
 背中を嫌な汗が伝う。
「お前には関係ないだろ」
「佑介じゃないんだろ?」
「うるさい!」
 一瞬、まばらな密度の教室が静まり返った。
「……俺の性格ぐらい知ってるよな、佑介。西原ってわかりやすいのな。授業中、ずっと顔真っ赤だし」
「何が言いたいんだ?」
 もう一度聞いた。本当は、景山の言わんとすることが痛いほどにわかりきっていた。
「西原、俺のことが好きなんだよな?」
 俺は友達の「友達」だろうと、もらえるものはもらう主義なんだ。
 そう宣言する景山の言葉を一文字も理解できないような錯覚に陥りながら、俺はノートに走らせるべき手も止めて、ただ、チャイムが鳴るのを聞いていた。

 吹奏楽の練習も早めに終え、西原は今日はさっさと帰ってしまったようだ。
 一日のほとんどをぼんやりと過ごしたオレは、今、井東先輩と二人で空き教室に立っている。
「話って何ですか、先輩」
 振り返った先輩の顔は、ぞっとするほど無表情だった。
「わかってるんじゃない?」
 何の話か。わかるような気もしたが、今のオレにそこまで考えられるような余裕はなかった。
 首を振ると、先輩はオレの目をまっすぐに見て、
「私、他の人と付き合うことにしたの」
「……え?」
「だから佑介くんとはこれで終わりね。今までありがと」
 予想していた気がする、という予想とは少し違った展開に、意識がわずかに現実に戻る。
 オレは先輩を呼び止めた。
「なんで、ですか?」
 先輩は心の底から意外そうな顔でオレを頭から足まで見渡した。
「まさか、自分ではわかってないつもりじゃないよね? ……好きでもない相手と付き合うのも疲れたんじゃない?」
「好きでもない、相手」
 意味もなく繰り返す。井東先輩にすら、気付かれていたのか。
「私はね、佑介くんの好きな人の身代わりになるつもりなんてないの」
 先輩はひどく静かに言った。立ち去ろうとする先輩を、
「井東先輩」
 また呼び止めた。
「……誰、なんですか」
「何が?」
 先輩の言い方はひどくそっけなかった。
「他の人。誰と付き合うんですか」
 ふと、昨日の学校で見た光景を思い出した。音楽室の廊下。待っていた先輩。帰る景山のあとを追う。そして、校庭を、二人で歩いていた。
 先輩は笑った。
「景山くん」

 その晩に出た夕食が何だったのかさえ、覚えていない。
 風呂に入ったあと自分のベッドで勉強もせずに寝転がっていると、携帯が震えた。
 メールの着信。発信者は、西原ひろみ。
 絵文字の多くテンションの高い文面は、今日の英語で景山くんがなんと自分に話し掛けてくれたということを報告する内容だった。
 主だった内容のあとにくっついた、元気がなかったらしいオレにあてられた心配の文面を全部見終わらないうちに、携帯を壁に投げつけた。
 階下から母さんの声が響く。何やってるの、うるさいわよ、と。
 何もかもが腹立たしい思いで、眉をしかめながら、電気を消した。

 朝の教室に入っても、その日以降からは景山にだけは挨拶をしなくなった。
 景山自身は毎朝オレに声をかけてくる。それをきっぱりと突っぱねるだけの根性さえ、オレにはない。
 今朝もまた、景山は軽い口調でオレに話し掛けてきた。
「なんか、タイミングが重なったみたいで。ちょっと悪いなって思ってるよ」
 グミの甘ったるい匂いが鼻につく。
「そうかよ」
 オレはつっけんどんに返す。すると、景山はおそろしく冷たい表情になってオレを見下ろした。
「こういうことになるのは誰のせいか、本当に気付かないのか?」
 またくだらないあてつけと嫌がらせだと、オレはこの言葉を少しも聞き入れなかった。
 変な奴だけど、友達だと信じていたのに。
 今や西原から届くメールの内容のほとんどが、景山と話しただのという中途半端な惚気に変わっていた。
 もう返す気も起きなくなって、少し前から定期的に、西原のメールを無視する日々が続いている。
 井東先輩とは、以前と比べるとむしろより良い関係になってきた。それこそ離婚後の夫婦のように、後腐れのないさっぱりとした……先輩と後輩ではない、友達としての健全な関係だ。
 恋愛としてはうまくいかなかったけれど、先輩は友達として接してみるととても楽しくて良い人だということも、わかった。
 皮肉なことに、オレの今の支えといえば井東先輩以外には存在していない。



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