01:いつも通りの日々





南に位置するこの街に寒暖の差というものはあまりない。
しかし、冬を終えて訪れた春というものはやはり心地がよかった。
そのおかげか、太陽は真上までのぼっていたが瞼がどうにも重くて仕方がなかった。
うつらうつらする私の背中には二、三人の子どもが乗りかかっている。何事かを言っているのだろうが、聞こえることはもちろんない。
こういう時ばかりはありがたいものだ。
彼らの重みに耐えながら、また眠気にも抗うのだが、気がつけば首が傾いていた。姿勢を戻し、苦心して目を開ける。
目を開けた先では、グエンとドナが子どもたちと鬼ごっこに興じていていた。今は彼ら二人が鬼のようだ。
グエンは子どもたちに加減しているのか、ただでさえ跳ね馬のように走る姿がより強調されている。
飛び跳ねる度に後ろで束ねた焦げ茶の髪が上下に揺れていた。
既に捕まったのか、彼の両肩に子どもが一人ずつ乗っている。あれでよく走れたものだ。重くはないのだろうか。
対するドナは太り気味なせいか、汗だくで息をついているところだった。その隙を狙って子どもたちが彼女の背中に群がっていく。

破綻した鬼ごっこを眺めていると微笑ましい気持ちになるが、あの中に入る体力はない。
私の今の役目は比較的おとなしい子どもたちのために文字を教えることだ。
もっとも、子どもというものは勉強に全く興味を示してくれないので、たいてい地面に絵を描いたり手先の遊びをしたりして過ごす。
しかしどうにも眠い。頭が回らない。温かすぎるのが、

――痛い!

後頭部に衝撃が走った。一瞬目が冴え、何事かと振り向く。
「寝てばっかりなんだから。もう冬は終わったよ」
腰に手を当て、少し屈んでこちらに笑いかけてくるのは、私の妹分であるアリアナだった。
真っ直ぐな黒のストレート、やや吊り気味の褐色の目が印象的だが、彼女を初めて見た者はいつも違うところに驚きを見せる。
彼女はまだ十六歳だったが、施設の誰よりも背が高かった。いや、むしろ街の誰よりもだろう。
女性の中でだけではなく、男性でも彼女に身長で勝てる者はいない。
背が低い私としてはアリアナの身長はうらやましいほどだ。こう言えば彼女はいつも怒るのだが。
それはともかく、私の頭をはたいてきたのは彼女のようだった。愛嬌のある歳相応の笑みを浮かべている。
私は曖昧に頷いた。まだ頭が覚めきっていないのだ。
「動かないから眠いのかもよ。あそこに混じってきたらどう?」
アリアナが視線で促すのは、さっきから裏庭で駆け回っているグエンたちだ。
鬼ごっこはいつの間にかケンカごっこに変わっており、子どもたちは彼の足元に群がって好き放題に攻撃していた。
あの中に入れるわけがない。日頃から体を鍛えているグエンと違って、私は貧相そのものなのだから。
彼女もそれをわかって言ったようで、顔がにやにやと笑っていた。
代わりに、と呟きながらおもむろに後ろを向く。子どもたちに何事か話しているようだ。
彼らは各々頷いて方々へ散っていく。
さて、とアリアナは袖をまくり、
「洗濯物干すの手伝ってくれる? 当番の子がみんなさぼっちゃって」
言うなり私の腕を掴んで半ば強引に立ち上がらされてしまった。
……確か今週の当番は、さっきアリアナに話しかけられていた子たちだったと思うのだが。

水気を含んだ洗濯物がたっぷりと入ったカゴを運び、グエンやドナや子どもたちを追い払って裏庭に出る。
彼女は手馴れたものだが洗濯物は思いの外重く、私のほうがふらついてしまう。女性に負けるのは今に始まったことではないが、妹分にまで負けを認めなければならないとは情けない。
外気はからりとしていて、日の当たる場所へ出ると肌がじりじりと痛んだ。この陽気ならすぐに乾きそうだ。
「いい天気だね」とアリアナも空を見上げる。
彼女は手際よく洗濯物をロープにかけていき、ならば私はというとまた元の場所に戻って涼んでいた。
諸事情あって昼夜逆転の生活をしているせいか、最近は特に日光がこたえる。老いてきたのだろうか。
「でも、もう七年になるんだよね。早いなあ」
アリアナは怠惰な私を責めるでもなく世間話に興じた。
七年。
彼女と姉のアビィを拾ってからもうそんなに経ったのか。
あの時、頼りない私に縋りついて泣いていた少女は誰もが想像する以上に立派に育ち、家事をこなしている。月日が経つのは本当に早いものだ。
「集団生活に全然慣れなくて、ずっと泣いてたっけ」
――そう、あの頃は本当に困っていた。
お母さんじゃないと嫌だと駄々をこね、私は毎晩毎晩嫌がられながら眠るまで頭を撫でてやったものだ。
アビィは比較的早くに馴染んだが彼女はなかなか心を開かなかった。
それでもドナが言うには「あんたに一番懐いていた」らしく、自分が拾ってきたという責任もあり、いつまでも子守をする羽目になったのだ。
いつから心を開いてくれたのか、いつから私を兄のように慕ってくれたのか。施設の者たちとも仲良くなったのはいつごろだっただろうか。
そんなことをつらつらと思い出しているうちに私はまた眠りかけていたらしい。
「だから、こんな所で寝ちゃダメだってば」
軽く揺さぶられ、いつの間にか閉じていた目を慌てて開ける。洗濯カゴはもう空になっていた。
アリアナはやはり私を責めはせず、反対に心配そうにこちらを覗きこんできた。
「本当に眠そう。今朝は眠れなかったの?」
図星を突かれてしまう。頷くのも首を振るのもできず、曖昧に笑って返した。
少しだけ、と指先で示せば彼女は困った顔をした。
「やっぱり良くないんだよ、朝寝て昼過ぎに起きるなんて。レンツがいつも眠れないのもそのせいじゃないの?」
誰にともなく憤る彼女に答えかねて私はただ肩を竦めた。
そうは言っても、私の与えられた役割の関係上仕方のないことだ。
朝日が昇ってきてから眠るのは確かに難しいことだが、だからといって普段から役に立たない私が唯一役立てることなどそれくらいしかない。
一時間程度しか眠れていなくとも、昼にこうやって仮眠することもできる。睡眠不足はそれほど苦にはならなかった。
だがアリアナは私の態度がお気に召さなかったらしい。眉根を寄せて口をとがらせ、
「そうやって危機感がないんだから! 体も丈夫じゃないんだからちゃんと自己管理しないとダメだよ」
話し相手に付き合わせた私が悪いことになっちゃうじゃない、とぷりぷりと憤慨する彼女。
腰に手を当てて指先をこちらに突きつけてくる姿は妹分というよりも母親に近い気がした。彼女はきっとドナのような母親代わりになれることだろう。
彼女の過剰な様子に私は気持ち半分で小言を聞いていたが、
「私は心配しているんだから。いい? 無理はしないで。倒れちゃっても知らないよ」
ふいに真面目な顔で言われどきりとした。
倒れてしまう、という言葉に心当たりがあるわけではない。単に、思っていたよりもアリアナが自分を心配してくれているのだとわかったからだ。
本気で私のことを思ってくれているのだろう。嬉しさを覚える反面、申し訳なかった。
こんな私のために。
そう思っているのも彼女は歓迎しないだろうということもわかっていたが、考えずにはいられなかった。
申し訳なさで表情が曇ったのを反省ととらえたか、アリアナは仕方ないなと言いたげに笑った。
「気をつけてくれればそれでいいんだから。あと、いい加減メモを携帯する癖もつけること! わかった?」
最後は茶化してくるあたりも思慮深い彼女らしい。私もまた、緩く笑った。


彼女はメモ帳を携帯しろと言っていた。
それはもちろん意思の疎通を図るためで、他人より意思伝達手段に乏しい私にとってはまさに必須のものと言っても過言ではないだろう。
しかし私はいつもメモを忘れていた。うっかりしているわけではない。むしろ意図的に、積極的に忘れている。
なぜかという具体的な理由はないが、私は他人の話を聞いている方が好きだし、これまで生きてきた中で特別にメモが必要だったこともあまりない。
それに限られた世界で私は生きている。見知らぬ人と話すならともかく、アリアナやグエンといった顔馴染みの間に特別な言葉は必要なかった。
二人して石段に座り、彼女の話をうんうんと聞きながら、やはり必要ないと思う。
尋ねられれば頷けばいい。首を振ればいい。そうして太陽も西に傾き始める。
アリアナは楽しそうに喋り続けていた。見ているこちらは、それだけで幸せになれる。
通りがかった施設の子どもに何事か言われ、顔を真っ赤にして彼らを追い払う姿も、メモがなければ見られないものではない。
彼女は何を言われたのか教えてはくれなかったが、赤くなったその顔はどこか嬉しそうだった。
些細な表情の変化を好ましく見守りつつ、そして「夕飯の支度を手伝わないと」と去っていく大きな背中を見送りつつ、平和なのだと改めて実感した。
月日は本当に早いものだ。戦禍の街でアリアナたちを見つけてから七年も経っているのだから。
そして、二十年間も続いた戦争が休戦されたのは六年前。それからは争いもなく、死者が出ることもなく、私を含めたほとんどすべての国民全体が平和というものを満喫している。
戦災で両親を失った彼女も、もはやあの頃はほとんど覚えていないのではないだろうか。
惨劇を思い出さずに済むのならそれは幸いなことだ。
……六年の月日はあまりに短く、そして長い。私の故郷とはかけ離れたひどく高い空を見上げる。
来た当初は朽ちかけた家屋の集まりだったこの田舎町も、たったの六年でかなりの復興を見せていた。山脈に挟まれた行き止まりの街。
そんな僻地でさえここまで活気に溢れ始めているのだから、他の街などはもっとめまぐるしく発展しているのだろう。
ここに根を降ろしてからというもの、隣街にも足を運んでいなかったが。
人々の顔も徐々に活気が戻ってきていた。笑顔がこぼれるようになり、街全体が明るくなってきている。





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