「召集だと? 一体何が起きたというのだ」
午前零時を回った頃。
デントバリーを遠く離れた首都、その中央に位置する教会の上階で、忌々しげなしわがれた声があがった。
不機嫌そうな調子から、その声の主が床についていたことが想像できる。
召集を知らせた兵士も扉を叩きながら大きくあくびをしていた。
「知りませんよ。ただ主教はじめ全員を集めるよう言われただけですし」
兵士は実戦向きでない派手な将校服をだらしなく着崩していた。口調から早く命令を遂げて寝てしまいたいという態度がありありと窺える。
「至急だそうなんで、早く来ていただけますかね」
「……その舐めた口の利き方はどうにかならんのか」
扉の向こうで衣擦れの音をさせながら、声の主は腹立たしげに言う。
「今更何をおっしゃいますやら」
兵士は涼しい顔で更に軽口を叩いた。
声の主もこのやり取りは日常茶飯事のようで、不機嫌そうに舌打ちをしつつもそれ以上追及はしない。
やがて木製の重々しい扉が開き、側頭部に白髪をたくわえた男が姿を現した。
髪こそ真っ白だがたるみ気味の肌にはまだ張りがあり、せいぜい老年にさしかかっているくらいの年頃だろう。
白いローブの上に暗い青色の祭服を纏い、装飾品の位置が決まらないようでしつこく整えている。
「そんなものどうでもいいから早く来ていただけませんか」
言いながら、兵士はもたつく男を置いて螺旋階段をくだり始めた。男の制止の声などまるで無視だ。
再び腹立たしげに舌打ちしたが、男は仕方なく兵士の後を追いかけた。

「――それで。緊急の用件なんだろうな? このような非常識な時間に召集など前例がない」
螺旋階段を下り、いくつかの廊下を曲がって地上階に出る。そこから更にいくつかの扉を通過して再び階段を歩いた。
いかにも気だるそうに先導する兵士に男が尋ねると、
「だから知りませんってば」
やはりやる気のない返答がやってきた。
「詳しい内容を俺なんかがいち早く知ってたら主教はそれこそ怒るでしょうが。もうそろそろなんだから我慢してついて来てくださいよ」
むしろ兵士の方がいかにも迷惑そうに男、主教をたしなめる。
主教の部下であり、教会所属の将校とは思えない態度だった。あまりの無礼さに眠気も忘れ主教の胸に腹立たしさがこみ上げてくる。
しかし彼はそれでも兵士に激昂しなかった。
態度こそ最悪だが、腕は折り紙つきなのだ。不思議なことに人脈もある。
多少を過ぎるが、些細な不敬に目を瞑ってでも手許に残しておきたいのかもしれない。
対する兵士は部下の不義を嫌う主教の様子をちらりと窺った。彼は明らかに怒りを覚えていたが、それを表に出す様子はないと悟ると、
「国王猊下からの勅令だそうですけどね」
さらりと主教にそう告げた。
聞いた瞬間、しかめられていた主教の顔が驚愕に塗り替えられる。
「猊下がだと? 馬鹿な!」
素っ頓狂な声で兵士の発言を否定した。
「有り得ん。有り得るはずがない! 誰が入れ知恵したのだ、おい、貴様――」
「いやだから知りませんってば。なんかお告げ、ああそう、予言がどうとか」
「――貴様詳細を知っておるではないか! くそ、予言……予言だと?」
不機嫌ではあったが一貫して落ち着いていた主教は兵士からの思いがけない言葉に混乱を見せた。
国王から直接召集がかかったことが信じられないようで、人名を次々と呟き「奴の差し金か」と疑いを向けている。
そして首を振っては、予言とは何だ、と繰り返し自問した。
兵士は主教の狼狽をただ冷ややかな眼差しで、気だるそうに見守っていた。
「予言など――あるはずがない。そもそも猊下が勅命などされるはずがなかろう!」
それは異様な光景だった。前例のないことであったとしても、これほどに混乱はしないであろう。
主教は汗を滲ませ、俯いて考え事をしたかと思えば顔を上げて考えを打ち消す作業を繰り返している。
あまりにもうろたえすぎていた。
兵士は半ば呆れ顔で「だから俺に言われても」と繰り返し、主教の足を進めようと先を促す。
「もうすぐそこなんですから直接聞いてくださいよ。俺に聞いてもわかるわけないでしょうが」
すぐそこ、と聞いて主教の足はかえって鈍った。
想定外の出来事に怯えるかのようだ。確かに、目にはささやかな怯えの色が混じっている。
「……貴様、他に何か知っておるのだろう」
もっと前情報を得ようと兵士に詰め寄り、兵士は露骨に嫌そうな顔をしてのけぞった。
「いやもう知りませんってほんとに。嘘じゃありませんよ。ほら、早く行かないと怒られますよ、さあ早く。知りませんってば」
「誰が企てたのか知らんのか」と詰め寄り続ける主教の背に手を添え、既に目の前と迫っていた古い扉の向こうへと押しやる。
両脇にひっそりと立っていた守衛がなお言い募る主教を押し込めるようにして扉を閉めた。
「お疲れ様です」と、貫いていた無表情を崩して上司に苦笑いを向ける。兵士もまた同じ笑みを返した。



「――おい。お前、今どこにいるんだ」

ようやく急な仕事を終え、自室で眠れると服を着替え、一息ついたかと思われた兵士の元に新たな用件が舞い込んだ。
一般兵がひどく申し訳なさそうな顔をして彼を呼び出してきた。何事かと思えば、彼宛ての電話が待機しているらしい。
既に時刻は深夜一時を過ぎていた。こんな非常識な時間帯に誰が連絡を求めるというのか。
彼には一人だけ心当たりがあった。

詰め所まで向かい電話に出れば、彼が思い描いていた人物は当たっていたようだ。
開口一番彼は相手に向かって問う。
「何か大きなことがとか抜かしてたくせに。どこほっつき歩いてるんだ」
兵士はそのまま相手をなじった。
『それで、どう?』
しかし相手は、彼の言葉を意に介さず質問を返した。兵士は眠たげにあくびを繰り返し、
「なんと国王からの勅令が下るそうだ。今まで引きこもっていたのにどういう風の吹き回しだか。主教も混乱しきりだ」
『あの人たちはそうだろうね。人形が動き始めるなんて有り得ないもの』
ざっと報告するも相手は予想していたようで、主教への皮肉の言葉をおくった。
彼らの最も崇拝する対象である国王は人形呼ばわりだが、兵士も相手をたしなめる様子はない。
まあそうだよな、と同意しながらも、彼は主教の戸惑う様子に少しだけ同意を見せた。
「しかし確かに予言なんて、今まで聞いたこともない。勅令もだ。……お前は何か知っているようだが」
兵士に前もって情報を与えてくれたその張本人にそれとなく尋ねる。
人生のほとんどを孤独に過ごす国王の動きを予測するなど、本来は有り得ないことなのだ。それこそ予測ではなく予言の力が必要なほどだ。
だが、やはり電話の向こうの男は彼の意図には答えなかった。
『君は予言を信じる?』
またしても問いに問いを返す相手。「俺は自分の見たものしか信じんね」と即答し、
「それより答えろよ。アルバート、お前今どこにいる?」
最初の問いをまた投げかけた。
『なら、見たものは信じるんだね。僕は予言の地へ向かっているよ。君もいずれここに来ることになる』
「はあ?」
思わず大きな声があがり、同室にいた兵士の視線が向けられるのを感じた。慌てて受話器を押さえる。
相手が、アルバートが何を言っているのか理解できなかった。脈絡のなさすぎる突飛な発言は今に始まった話ではないのだが、言葉が通じないのかとさえ思えるほどだ。
もっと詳しく、明確に説明せよと兵士が求めても、アルバートは同じ調子で話を続ける。
『教会お付きの護衛団副団長でしょう? きっと君にも命が下るよ』
「いや……いや待てよ、お前、探し物をするとしか聞いてないぞ、俺は。なんだってそんな、大体出てもない予言とやらをどうしてお前が――」
『時は満ちた、機は熟したってね。ああ、そろそろ行かないと。じゃあねレオン。エンリケによろしくって言っておいてよ』
「おい、アルバート。エンリケって、いや待て切るな、お前の探し物は……くそ」
電話の向こう側が沈黙し、無機質な機械音が鳴り始めるのを聞いて兵士――レオンは渋々受話器を置いた。
一方的な情報のみ与えられ、知りたいことは与えられず、あくまで自分勝手な電話の主を思い浮かべながら首を振った。
次に脳裏に映し出されるのは、諜報部とは思えない目立ちたがり屋の同僚の男の姿。
エンリケによろしく、とはどういう意味なのかを考える。アルバートはただ挨拶のためにそのようなことを言う男ではないのだ。

教会には不穏な空気が流れ、沈黙を守ってきた国王が前代未聞の勅命を下し、彼にとって最大の人脈である友人は不可解な行動を始めている。
「楽しくなってきたな」
そうぼやくレオンの顔はこれっぽっちも楽しげではなかった。





BACK / NEXT






NOVEL-TOP HOME