愛国心のない男。半端な負け犬。だからここで生きていられる。
もし自国に帰れないとなったら、自分なら自害するだろうと彼らは笑いながら揶揄する。
だのにあの男はのうのうと敵国で飯を食らい、クソをして寝ているのだ、
あの男の同胞に家族を殺された連中のど真ん中で、あいつは殺されないようご機嫌取りに必死なのだと。
それが驚くほど滑稽だから生かしているようなもので、何か騒ぎを起こせばすぐにあいつは捕虜として連れていかれるだろう。
その時あの男がどんな顔をするのか楽しみだ、そう囁いては含み笑いをする。
すぐそばで噂の張本人が聞き耳を立てているとも知らずに。
張本人……グエン・ヨウニは自らの悪評を聞くたびに、無知な彼らをまた、あざ笑う。
停戦のぬるま湯にすっかり浸された者が自害だなどと聞いてあきれることだ。
ろくに働きもせず、彼らの愛する自国に尽くしもせず、ただ出てきた飯を平らげているだけの彼らに戦争の何がわかるというのか。
国に忠誠を誓った兵士たちの覚悟がどれほどわかるというのか。
家族や住居を失った悲劇と言う。だが、彼らのほとんどは五体満足で生還しているのだ。
本当に死に物狂いになったならその身一つで家だって建てられるだろうし、新たな家族を得ることでかつての悲しみを癒すことだってできるはずだ。
事実、この国に住んで十年ほど経とうとしているが、そういった者はそれこそ捜す必要もないほど溢れていた。
施設の扉を叩いた時点で彼らは負け犬だ。家族を失ったと言うが、それはきっと事故で失ったのと同じ程度の悲しみでしかない。
もし本当に加害者が憎いのならば、彼らは真っ先に自分を殺しにかかっていただろう。
それでも今グエンがこうしてのうのうと生きているのは、彼らが負け犬で、自分はまだ牙を抜いていないということに他ならない。

グエンは決して愛国心を捨てたわけではなかった。
表面上はさも負け犬のように自国を貶め、憎むべき敵国の手腕を賞賛しているが、事実はその真逆だ。
それどころかグエンは元兵士でもなんでもない。今も立派に兵士なのだ。
愛する国のために生きている事実さえ捨てた諜報員。それが彼の本来の姿だ。
自国と何年も連絡をとってなくとも、最後に与えられた任務を遂げられるのであれば支障などない。
グエンはたった一人、全滅してしまった仲間たちの敵を討たんと、ずっと牙を研ぎ続けていた。
それはこの国が抱える、同じくたった一人の兵士の殺害。
どれだけ有利な戦局であっても、その兵士が動くだけでいとも簡単にひっくり返されてしまう。
重火器さえ持たないその兵士によって覆された戦局は数え切れず、死者を集めれば一つの山ができてしまうほど。
彼が現れたという報告を受ければ尻尾を巻いて逃げ出す者さえいるほどに、国は、軍隊はその兵士を恐れていた。
味方には軍神と崇められ、敵には悪魔、死神と畏怖される一人の兵士――アルバート・セルバシュタインの抹殺である。

ならば十年間も、なぜこうして本当の素性を隠してまでのうのうと施設で暮らしてきたのか。
グエンには確信があった。それは自分を拾った男、レンツ・ヴァイルの特異性が関係する。
だがまずはアルバートという男の性格だ。彼はそこまで強い力を持っているにもかかわらず、決して軍に従わない男だという。
各地をほうぼうと飛び回り、いたずらに戦局へ顔を出しては虐殺を繰り返す。潜入して初めてわかった情報は、彼を悪魔と呼ぶにふさわしいとグエンに痛感させるものだった。
そして、休戦はあくまで休戦にすぎないという事実。これまで平和だったこの地でも、再戦すればいずれは戦火を見るだろう。
国境から離れていようが、次の戦争では関係なくなるはずだ。あの兵器はもう、すでに完成しているだろうから。
戦火があるならアルバートは現れる。いずれ必ず、自分の目の前に姿を現すだろう。
最後に、レンツの視力だ。本人は気づいていないだろうが、施設内でも「バケモノ」というあだ名が密かに囁かれているほど、彼の視力は桁違いに良い。
聾唖の、それもろくに人と交流しない閉鎖的な男と親しくなるのは簡単なことだった。今やレンツはグエンに全幅の信頼を置いていると言っても過言ではない。
見える範囲内であればどこまでも見えるという、常識外れたレンツの特異性。彼のそばにいるだけで、アルバートを発見できる確率は格段に上がるだろう。
いや、グエンはそれだけのために十年も待っていたわけではない。
アルバートに知られることなく近づくことさえ、夢ではないのだ。
悪魔は確実に現れる。すでにもう、二度も姿を見せているのだから。それがグエンをぬるま湯に浸させる最も強い確信の源でもあった。
一度目は忘れもしない十年前のあの地獄、そして二度目は――。

憎い。憎い。
仲間を殺したあの男が。
自分を逃亡させたあの男が。
国から見捨てられることになったのも、あの男のせいだ。
だがそれもじき終わる。
あの男さえ、殺せるのならば。
こんなぬるま湯に浸っていることぐらい、なんの苦痛でさえもない。
だから、
「よお、どうしたんだレンツ? トイレか?」
珍しく表情を顕にした……狼狽した親友に偽の笑顔を向けることくらい、なんの苦痛でも、ないのだ。






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