キャスは重い気分で教会を出た。
マギーはというと「神の使いだって! すげえ! レンツさんすげえ!」などと興奮している。
それに突っかかる気分にさえなれず、仲間を売ったかのような罪悪感にひとりたそがれていた。
「ちょっと待て、おい、二人とも」
背後からかけられる声。振り向くと、レオンがこちらに向かって手招きしていた。
しぶしぶレオンのそばに行くキャスの様子を見て、レオンは苦笑いした。
「ずっとそんな顔してたな」
会議とはうって変わった軽い口調。後ろになでつけていた髪も早々に下ろされて、短い前髪がまだ中途半端に浮いている。
エリートのくせに片足で立っているし、胸ポケットから煙草を取り出しながらも大あくびをする始末だ。
「昨日から徹夜でね。失礼」
マッチをこすり、甘さを含んだ青い煙が立ち上る。
昔キャスとマギーが戯れに吸っていたものとは別次元の、上品な匂いだった。
「何か用かよ」
挙動のすべてが気に入らないとでも言いたげにキャスが吐き捨てた。
マギーに頭をはたかれる。挑発された当人はそれを受け流して白い息をとばした。
「そう突っぱねるな。俺はお前たちの敵じゃないんだから」
「何か用かって聞いてんだ」
敵だとか味方だとかの問題ではなく、気に入らない、キャスにとってはそれだけだ。
神父とは思えない権威主義のテレンス神父も、同年代のくせに自分よりはるかに有能で余裕のあるレオンも、
得体の知れない気味悪さばかり残して知らない間に進んでいく周囲も。
そして、仮にも惨殺事件が起きたというのに、そんな目先のことしか考えられない自分も気に入らない。
情報があるようでまるでわからない、今の状況に寒気さえおぼえる。
神の使いとは何の役割があるのか。そもそも、予言とは何なのか。
悪魔とは、何にとっての悪魔なのか。悪魔に対し、神の使いとやらが戦うということなのか。
そうであるなら、レンツは兵士四人を殺してのける殺人鬼と戦わなければならないということになる。
しかも、神を、国家を背負って。
彼にそんな怪力があるとも、度胸があるとも思えない。
わからないことが多すぎる。だから、気に入らないのだ。
理屈はすべて捨て去って、「気に入らない」という感情だけをむき出しにするキャス。
レオンはむしろ好意的な眼差しを向けていたのだが、それさえも彼にとっては火に注ぐ油でしかない。
「……知り合いなんだろ? その、レンツとかいう奴は」
「うるせえな、だから何だってんだ!」
「おいキャス、やめろって」
マギーのせりふが遠くに聞こえる。どこか冷静に、頭に血がのぼってきたな、とキャスは思った。
こうなってしまうと手がつけられない。あとは何を言おうが、最後には爆発する。
だが、レオンが放った一言はあまりにも唐突だった。
「大勢が死ぬんだぞ」
「……は?」
煙草を肺いっぱいに吸い込み、そして吐き出す。彼は軍人の目をしていた。
「私情を挟む余地はないんだよ。もちろん、神の使いだろうがそうでなかろうが、そいつの安全は保証する。
 それ以前の問題だ。気に入らないって理由だけで自分の使命を忘れるな。
 予言が何て言ってたか、覚えてるか?」
仔細など覚えているわけもない。キャスは言葉に詰まり、力なくうなだれた。
「『三匹の悪魔』『四つの魂』、『更なる生贄』と『第一の』『神の使い』。
 数がはっきりしている場合とそうでない場合とがあるだろ。数がないっていうのはつまり、どれくらいの規模になるのかわからないってことだ。
 神の使いを見つけろっていうのはそういうことだよ。放置しておけば、数十人以上の犠牲が出る可能性さえある。
 このままだとむしろ、施設の全員が犠牲になる可能性の方が高い」
「みんなが……?」
マギーが呆然と呟いた。キャスもまた、拳へかける力も忘れ目を見開く。
「悪魔とやらがどういうものなのかは俺も知らない。だが、異常者であることは確かだ。
 犠牲が出るっていうなら、それは一般人であるべきじゃないんだ。わかるな? 事態はお前らが思っているより複雑で深刻なんだよ」
少なくとも、私情を挟んで駄々をこねるような状況じゃない――。
そこまで言い終えると、レオンは正面玄関の前でこちらの様子を窺っていたテレンス神父を一瞥した。
神父が飛び上がってそそくさと中に入っていく。やましいことがなければ逃げたりする必要もないだろうに、墓穴を掘っているようなものだ。
「できるなら今日にでもそいつを保護したいところだが、こっちも手一杯なんだ。事件の捜査から、裏切り者の予測まで軍部に丸投げだからな。
 お前らはお前らにしかできないことをやれ。明日の午後まで、目を離すな。俺の言いたいことはそれだけだ」
煙草を教会の壁に押し付け、吸殻は玄関先に投げる。教会側の軍人とは思えない態度にマギーが目を白黒させていた。
言いたいことだけ言ってさっさと歩き去ろうとするが、ふと立ち止まり、そうそう、と振り返った。
「男は女を守るもんだ。あんまりカノジョを心配させるなよ」
キャスの左目をちらりと見て、レオンは唇を吊り上げた。
気取った、こちらを小ばかにしているようにしか思えない所作。

――どいつもこいつも、馬鹿にしやがって。

「……んだとコラ」
積もり積もった鬱憤がついに爆発した。
呟くやいなやレオンに向かって突進するキャス。案の定、マギーによって後ろから羽交い絞めにされた。
言いたいことはたくさんある。そのはずなのに、殴ることしか考えられない。
キャスは渾身の力でもがいた。殴るつもりじゃない、いや殴る。やっぱり殴る。
ない交ぜになった感情も「邪魔すんじゃねえ」だの「離せ」だのといった怒号にしかならず、あとはうなり声をあげるばかりだ。
その様子を目を細めて観察していたレオンが「やっぱり守られてるじゃないか」と更に煽る。
更に怒りのボルテージが上がるのがわかる。もはや怒号は意味をなさない。
さすがのマギーも抑え付けるのに限界のようだった。それでも、華奢すぎる体からは想像もつかない渾身の力で彼をとどめる。
「ほら、俺は、気にしてないし! むしろやりがいあるっつーか! ていうか付き合ってないし!」
マギーなりにキャスを宥めているのだろうが、むしろマギーの方が混乱しているようだった。
「ていうか、なんなの、なんで、そこでキレんの? 落ち着けって……」
興味をなくしたか、レオンは「じゃあな」と悠然に歩き去ろうとしていた。ひらひらと手を振る姿がまた、いけ好かない。
姿が見えなくなるまで吠え続けるキャス。完全に消えてようやく、諦めたかのように力を抜いた。
後ろではマギーが汗だくで息を切らしていた。
「まじで……なんなの……あの人むしろ……いい人じゃん」
出会い頭にレンツを殴った時も、ドナに対し怒鳴った時も、ここまで激昂してはいなかった。
キャス自身そう実感していたが、理由も明確にあるはずなのだが、やはり言葉にすることができない。
ただ、異様に腹が立つ。いまだ腹の虫がおさまらないほどに。
「……次は絶対、一発殴る」
物騒なことを呟く伝教者。だが、次こそは鼻っ柱を折るぐらい全力で拳を食らわせるとすでに心に固く誓っていた。
「まじかよ……」
納得するはずもない。マギーはがっくりとうなだれる。
だが、一度決めたことは馬鹿の一つ覚えに貫き通す彼の性格は嫌というほど知っている。
今思うだけは自由なのだ。
マギーはまだ肩で息をしつつも、
「ワタシのために争わないでって、言うべき?」
その軽口に、ようやくキャスが少しだけ笑った。






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