午後十二時、デントバリー関門を抜けてすぐの地点。
急を推して設営された調査キャンプでは、数名の兵士たちが話し合い、関所とを行き交っている。
そこから少し離れた場所に二つの人影があった。

息の詰まるような熱気が大気に充満している。
真上に差し掛かった太陽の光が皮膚に突き刺さり、まるで臓腑が茹で上がっているようだ。
「暑くてやってられんな。だから南部は嫌なんだよ」
荷車に並べられた四体の死体が眼前にあった。
風も吹かない灼熱のさなかで、彼らは存在を主張するかのような死臭を放っている。
レオンは鼻が曲がりそうな悪臭に口元を隠し、愚痴をこぼした。
臭いを遮断する袖はすでに汗でじっとり濡れている。北部で育った者にとって、この熱気は耐え難いものだろう。
「何度見てもひどいもんだ……」
早朝、デントバリーに到着した時点で既に見てはいた。
それどころか、彼こそ、関門から離れた場所で息絶える四人目の兵士を発見していたのである。
「……それで、間違いないんだな」
レオンが傍らの兵士に促した。兵士は頷いて、
「非常勤の者に確認をさせました。デントバリー警護担当の者四名――
 デリー・ショー兵長、フォンス・マルティン一等兵、ベック・ウォード一等兵、ハンス・アッカー一等兵。以上四名に相違ありません」
「そうか」
兵士は律儀にも、並べられた死体の左から順に名前を挙げた。
唯一の兵長であるデリー・ショーと、レオンの発見したフォンス・マルティン。
彼らはまだ、右の二人に比べると幸せな死に方をしたと言える。
ショーの死因は失血死、いや、窒息死か。喉を鋭利な刃物で一閃されていた。
刃は皮一枚を残して彼の首を切断しかけていた。今もぱっくりと開いた切断面が露出し、青白い首があらぬ方向を向いている。
マルティンは首の骨を折られた状態で見つかった。
彼は他の三人よりかなり遅く、おそらく明け方以降に殺されたものと見られていた。
関所から離れた場所で寂しく横たわっていた彼。三人の惨状を目の当たりにして、逃げようとしていたのだろうか。
今の段階でもこの男がどういった目的で外に出ていたのか、誰に殺されたのかなどはわかっていない。
それ以前にまだ、ショーを除いて犯人の具体的な凶器さえわかってはいないのだ。
レオンは更に右の二人へ視線を移す。
「参ってますよ。場慣れしてない連中が多すぎて、見ただけで吐く奴が続出しているんです」
兵士の愚痴も、現場に当たっている者の反応も無理からぬことだ。
事実、あとの二人はそうそうお目にはかかれない、それこそ戦場の只中にこそふさわしい風貌をしていた。
ベック・ウォード、彼の死因はマルティンと同じく頚部骨折によるものだ。
しかし、ウォードは生きている間に、膝から下を強引にもぎ取られたらしい。
現場には彼が激しく暴れた血痕や組織片が散らばっていた。なくなった足は本人から数メートル離れた壁際に無造作に捨てられていた。
壁に激突の跡があることや、引きずったような痕跡が見られないことから、ウォードの足は想像を絶する力で吹き飛ばされたとしか見えなかった。
爆弾でも使ったのなら話は早い。だが硝煙反応はなかった。
おそらく、鈍い刃物のようなものでなぎ払われたのだろう、と現在推論されている。
事実上何を使ったのかわからないと言っているようなものだ。口さがない兵士の間では怪物が現れたなどと半ば本気で囁かれている。
化物などいない。人間こそが一番の脅威である。一度でも戦場に身を置いた者ならば誰しもがわかる単純な理屈も崩されかけるほどの怪異。
最後に残されたハンス・アッカーの惨状が、彼らの妄想を更に強固にさせる要因とも言えた。
「アッカーの顔面は未だ見つかっていないそうです」
淡々と事実だけを口にする兵士も、自らの言葉に気分を悪くしているようだ。
アッカーの死因は窒息死。根元から舌を切断され、さらにそのまま猿轡をかまされていたのだ。血と舌に気道を塞がれ、彼は息絶えた。
その後か、その最中か、アッカーは体中の皮を無造作に剥ぎ取られていた。
発見時すでにはだけられていた上着。上半身はめくれた皮と露出した肉と血とにまみれ、見るに堪えない状態だった。
彼の死体のまわりには、剥がされた皮が大小に積み重なっていた。
だが、肝心なものが、そこにはなかった。
アッカーの顔。
そこにある彼と思しき死体は、実際のところアッカー本人かどうか誰もわからなかった。
レオンに見えるのは、血と肉と脂のまとわりついた骸骨。うつろな眼窩。
体のそれとは正反対に、額から顎の先まできれいに切り取られて、アッカーらしき男の顔は消失していた。
「その非番って奴も、よくこいつがアッカー本人だってわかったな」
兵士の報告を聞き流してレオンが率直に言った。
「彼に関しては、確認は取れませんでした。身体的特徴もこれといってないようでしたし。
 所持していたタグと、当日の当番がアッカーだったということでほぼ断定しました」
「……まあ、多分そうなんだろうよ」
これがアッカーの死体でないという可能性もあるが、それだと本物のアッカーはどこかに生存しているということになる。
「生前の評判は?」
「良くもなく、悪くもなく、ですね。臆病な男として門番たちの間ではよくからかわれていたそうですが」
「アッカーが犯人かもしれないって可能性はないか?」
「絶対ではありませんが、ほぼ無いと言っていいでしょう。彼は内気な青年で交友関係も限られてますし、ほとんど家族とともに過ごしていたようですから」
そうか、とひと言呟いて、レオンは思案する。
「舌を切られて、猿轡を噛まされて、窒息死した。そして顔……」
違和感がある。
「猿轡をした状態で、顔面一枚剥ぐことはできないよな」
レオンの言葉を受け、兵士はそのことについてですが、と切り出した。
「まだ詳しい調査ができていないので何とも言えませんが……。
 おそらく顔の方は、アッカーの死後いったん猿轡を外して切り取ったものと思われます。
 猿轡を噛ませた目的からしても、体の方はおそらく窒息している最中にではないかと」
「なんでそんな無意味なことを? 顔はどこへ行った?」
兵士は首を振る。彼にわかるはずもないのだ。
予言どうこうという話以前に、なぜ犯人が殺人を犯す必要があったのかさえわからない。
なんのためにデントバリー関所を襲撃したのか。金品はおろか、関所建物内に侵入した形跡すらない。
兵士殺害の理由は? 見られたから殺さなければならなかったにしても、なぜ無意味なまでに残酷に殺す必要があったのか?
「あと、私個人の疑問なんですが……」
レオンは兵士の言葉に視線で促した。
「不自然だと思います。アッカーの、舌を切られて窒息、というのが。口を封じる必要があったのなら、単に猿轡を噛ませればいいのでは?
 それにどうやって舌を切ったんでしょうか? 引っ張り出して切ったとしても、その間に叫んでしまうはずです」
沈黙が訪れる。
それは、一つの糸口を示すものだった。
「犯人はアッカーの知人だったのではないでしょうか」
兵士がもたらした推測は大胆なものだった。もちろん、その可能性もなくはない。むしろ高いといえるだろう。
だが、
「こいつの知り合いにガウェナ在住の人間はいるのか?」
それに、怪物的な力を持ったような知人など、そうそう居はすまい。かく言うレオンも――。

――いた。

一人だけ、知っている。それどころか、横の兵士も、亡骸となった四人もその者の存在を知っている。
この国に暮らす者なら誰でも名前くらいは知っているし、軍門に下った者であればその顔さえも思い出せる男。
更に言うなら、その男はレオンの友人でさえあった。
あの男から最後に電話があったのはどこだった?
デントバリーにほど近い、西の砂漠だった。人の足であれば、ゆうに辿り着ける距離。

しかし、レオンは兵士にその名を告げなかった。
「ともかくバジル、お前はアッカーの知り合いを当たってくれ。俺はもう一つの方を片付ける」
もう一つの方、とはおそらく予言でいうところの「神の使い」の方だろう。
バジルと呼ばれた兵士も了解しているようで、その言葉に静かに頷いた。
「追って情報がわかった時はすぐに連絡いたしますので」と言い残し、キャンプへ戻っていく。
レオンはしばらくその場に佇んでいた。
こめかみを指でつまみ、俯いて思案しているようにも見える。
だが、隠された口許は確かに笑みを作っていた。
――英雄から悪魔に、か。
真意を測り取れない笑みを浮かべたまま、レオンはキャンプを通り過ぎ、街へ向かう門をくぐって行った。






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