祝福に呪いを。
すべてを忘れ、すべてを封じ、
汝、ただの人であるべし。
呪い破る者あれば、
すべての呪いはその者に。

リズがいる。
――ちがうよ、君は俺のことを知らない。
リズ……?
――何も知らない。そう、妙な夢も、すぐに忘れてしまうよ。
……。
――そうだ。俺は初めて、君の前に現れた。

――呼ばれている。
呼ばれている?
――こっちの話さ。頭痛は治ったんだろう?
もう、痛くない。変な夢も見ない。見ても、忘れてる。
――それでいい。
――切り離してしまえばいい。
――邪魔をするものは、俺が消してやる。
邪魔って、なに?
――眠りなさい。もっと深く。忘れてしまえるように。
ああ、行ってしまう。
行かないで、行かないで。忘れてしまう。忘れたくない。忘れたい。
眠ってしまう……。





04:守護の呪い、略奪の祝福





施設の裏道、林を更に進むと、道は山を登り始める。
デントバリーと海を区切る境界の山脈。その中腹に廃墟があった。
旧時代の遺物でもあり、人々から忘れられ打ち捨てられたその廃墟はもはや建物としての形はとどめておらず、崩れた天井が床の大部分を埋めている。
空には月がのぼっていたが、廃墟を覆い隠すように茂る木々がそのわずかな光までをも遮断し、影すら境がわからないほどの闇があたりを覆う。
忘れられたはずのそこに、今は二つの影がいた。
かろうじて残された屋上に座る者と、下から影を見上げる者。
「――捜したよ全く。足が棒になっちまった……まあいい、詳しくは聞かん。どうせ聞いてもわからんだろうしな」
一人は、レオンだった。灯したばかりの煙草を指で挟み、片手にランプをぶら下げてもう一人を見上げている。
もう一人は、アルバート。
戦場で敵味方問わず殺し、ここデントバリーでも兵士を殺した男。
アルバートは唇を吊り上げて、木々の隙間から覗く月を眺めていた。
レオンの知る限りでは、この男から笑みが絶やされたことは一度もなかった。
常に笑っている。自分が怒られていても、相手を傷つけても、人が死んでいる時でも。
人を殺している時でさえも。
暗がりに隠れた虫たちが、冷え切った静寂にいやに響く。
完璧すぎる微笑みをたたえたまま、彼は声もなく何かを呟いていた。
「俺は何をすればいい?」
話を聞くそぶりのないアルバートに焦れてレオンが言葉を次ぐ。すると、
「――会いたい人がいるんだ」
アルバートは視線をそらさないまま、ぽつりと言った。
まるで子供のような幼い物言い。だがこれが彼の常だ。
「会いたい人?」
オウム返しに聞き返す。
「だけど、邪魔が入っちゃうんだ」
「それを妨害しろと?」
アルバートは首を振った。肩に触れるか触れないかの髪が、さらさらと夜の空気になびく。
そこでようやく、アルバートが下を向いた。
薄い灰色の瞳が弧を描いている。常に笑んでいる中でも、とりわけ楽しいことを見つけた時の表情。
「神の使いの候補がいるでしょう? あれをそのまま置いておいてほしい」
神の使い候補。
レオンの脳裏に、名前が浮かんだ。
何かしら街の者と因縁があるらしい聾唖の男。
予言を信じるならば、その男の周囲に災厄があるというのだが……。
「放っておけとでも言うのか」
「レオンも放っておきたいんでしょう?」
沈黙。
お互いにお互いの腹を探るような間が続く。
それを破ったのは、レオンだった。
「まあ、いいだろう。構わんが、それでどうするつもりだ」
なぜ、とは問わない。尋ねたところで望んだ答えが返ってこないのを彼はよく知っていた。
「王を殺すよ」
だが、買い物に行くかのようにさらりと口にされたその言葉に、レオンは瞠目した。
望んだ答えでも予想した答えでもない、想像もつかなかったせりふ。
言葉を失うレオンを確認することもなく、アルバートは再び空を見上げる。
「……で……神を……むひと」
またしても何かを呟いていたが、聞き取ることができない。
あくまで超然とした態度に苛立つレオンは声を荒げて、頭上の男へ呼びかけた。
「おい、今、誰を殺すって言った? まさかあんな予言を間に受け――」
「――黙って」
静かな、しかし有無を言わせない声がレオンの怒気を制止させる。 再び、アルバートの口が動く。そしてくすくすと笑い声。
レオンの方を向いた。
「説明するより見ればいいよ。もう、すぐそこにいる」
「何の話だ?」
戸惑いと苛立ちが隠せないレオン。
アルバートは初めて、視線を空とレオン以外に向けた。
彼の背後、そしてレオンの前にある、瓦礫に埋もれた廃墟の中。
不承不承ながらもそこへ目を向けると、奇妙な靄が見えた。
白くはない、むしろ、黒い煙が水を吸い込んだような、粘り気のある靄が、わずかに光りながら瓦礫の中を漂っている。
「……あれは何だ」
しっかり見えているのに目をすがめて靄の正体を突き止めようとするレオン。
靄は徐々に形を収束しつつある。それは人の形のようにも見えた。
「おい、アルバート、あれは一体、」
いや、有り得ない。レオンは否定しつつも、背中に滲んできた汗を止められなかった。
光っているのに黒い靄があるわけもないし、それが意思をもっているかのように動くことも、
ましてや、人の形をなしてきているなどと、認められるはずがない。
――だが、あれは何だ。いったい、何が起きている?
「僕の友達を紹介するよ」
アルバートの言葉が耳に入った時、靄も完全に形を成した。

それはやはり、人だった。しかし確実に人ではない。
体の向こう側に廃墟の瓦礫が見えるし、靄と同じくわずかに光っている。
レオンは言葉も忘れ絶句していた。幽霊としか形容のできないそれが現実に今、目の前にいるのだから。
自分と同い年くらいの男の形をした幽霊は、聡明そうな目をアルバートに向けていた。
対するアルバートもまた、それを見返している。
「久しぶりだね」
その声に、靄だったものは目を細めた。
嫌悪の表情だ。
レオンはそう認識した次の瞬間、また更に驚くこととなる。
『――なんで呼んだ?』
それが、喋ったのだ。
嫌悪に満ちた、吐き捨てるような声は、先ほどの靄のようにおぼろげではある。
だが確かにレオンの耳に届いた。聞こえるはずのない声が、そもそも、見えるはずのないものが見えている。
「君が邪魔をするからだよ。僕の気持ちがわかったでしょう?」
一方でアルバートはごく当たり前にその存在と話をしていた。
むしろ、レオンの存在こそがないものであるかのようだ。
事実、彼らはレオンをまるで無視したまま会話を進め始めていた。
「邪魔なんだよ、君は。もう役割を終えたならしゃしゃり出ないでくれるかな」
嘲るような笑みでアルバートが続けて言う。
『決められたことしかできないほど俺は無能じゃないんでね。邪魔なら殺したらどうだ? お前の十八番だろう』
対する男は、やはり嫌悪と憎しみがない交ぜになった目を眼鏡の下から覗かせてアルバートに返す。
歯をむき出してうなり声でもあげそうなほどの激情をレオンはその男から感じた。
アルバートは右手で髪をかき上げ、そのままかきむしった。彼もまた表情に反した激情を宿しているのか。






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