「いや、」
当然のように二人は会話しているが、彼らはこれが異常だとは思わないのか。
めまいを覚えつつも、レオンは状況から取り残されまいと声を振り絞る。
このまま呆然としていたのでは、場の主導権はもとより参加さえできない。
それではわざわざこの男を探し出してまで話を聞こうとしたことがまるで無駄になってしまう。
「ちょっ……と、待て」
当惑を押し殺して出した声はかすれていた。精一杯の声がこれか、と頭の中で冷静に己を嘆く。
だがそれで十分でもあった。二人、いや、一人と一つの視線がレオンに注がれる。
『誰だ?』
靄の男は初めてレオンの存在に気がついたようだった。
しかしあくまで、レオン本人ではなくアルバートに語りかける。
アルバート自身も、紹介するなどとのたまっていた割には彼のことを忘れていた。
その証拠に、「ああ、まだいたの」とでも言いたげな視線をレオンによこしてみせる。
やれやれと首を振って、そうしてアルバートはいつも通りの緩やかな微笑に戻った。
「彼はレオン。僕の部下で同僚で友達だよ」
先ほどの理解しがたい確執を忘れ去ったかのように、男に向かってにこやかに紹介を済ませる。
男もまた最初に見せた穏やかな顔つきに戻り、レオンを値踏みするように見つめた。
『ついにお前も人に頼るようになったか』
しかし発せられた言葉は、あくまで頭上のアルバートに向けられた。
「それで、そっちの貧相な眼鏡はリズ」
アルバートは男の皮肉を無視し、悪口を上乗せしてレオンに紹介する。
どちらも紹介とも言えないものだ。当然ながら、それで納得できようはずもない。
「で、その……こいつは、なんなんだ」
「神父だよ」
「神父だと?」
リズと呼ばれた男は、黒い質素な服を纏っていた。
胸元にある十字架で彼が聖職者であることは理解できるが、白を基調としたキリル信教で言う神父のそれとは似ても似つかない格好。
彼は異教の徒なのか。だが、このような服装は見たことがない。敵国や、他の国の宗教とも異なっている。
それにあの十字架は確かに、キリル信教のそれだ。自分が知らないだけで、このようなスタイルの神父もいるということなのだろうか。
いや、それはない。レオンはこれでも中央教会に勤務している。その自分が知らないことなどあるはずもない。
そもそも、彼はそんな答えを求めてアルバートに尋ねたのではない。もっと根本的な疑問があるはずだ。
『要点を言ってやれよ』
更に混乱を見せるレオンを見かねてか、リズが助け舟を出した。
アルバートは楽しげに肩を揺らす。もったいぶっているのだ。
レオンが更に非難の声をあげようとした時、ようやくアルバートが核心を答えた。

「彼は元、神の使いだった男なんだ」

――神の使い?
「神の使いって」
レオンが何度目かの狼狽を見せる。
――あんなもの、ただのたわ言じゃあ――。
心内を見透かしてか、アルバートは楽しげな笑い声を頭上からおとした。
「不信心は罰せられるよ、レオン。予言はたわ言なんかじゃない」
「だって、悪魔なんているわけが……」
「だけど幽霊はいたでしょう?」
ほら、目の前に、と言われれば返す言葉もない。
それでも信じがたい、と、すでに灰になった煙草を持つ手を震わせるレオン。
「悪魔はいるよ」
更に念を押すアルバートの言葉を継ぐのは、幽霊でもあり神の使いでもあったというリズだった。
『神の使いが命じられるのは悪魔の抹殺。俺はその命の一端を担っていた』
淡々と説明されるも、レオンにはひどく非現実的なことのようにしか聞こえない。
「じゃあ、悪魔ってなんだ? どういう存在なんだ? お前がどうやって抹殺する? 奇跡みたいな力でもあるのか?」
この異常な状況において、それでもそれ以上の異常を認められずにいた。
生ぬるい顔でこちらを見守る二人、いや、一人と一つのことを肯定してしまえば、今まで信じてきた世界が崩壊してしまう気さえする。
混乱を隠すように矢継ぎ早に質問を浴びせかけるレオンの脳裏に、ふと当たり前の疑問が浮かんだ。
「……アルバート、お前はなんで、そんなことを知ってるんだ?」
それまでの質問はすべて流して、彼の本心からの問いにだけアルバートは口を開いた。
「僕も神の使いだから」
あまりにあっさりと告げられた言葉。
信じられるわけがなかった。

「いやいやいやいや待て。ちょっと待て。おかしいじゃないか。おかしいだろ?」
ついにレオンの我慢の糸が音を立てて切れた。
唖然とすることもなく、あくまで平静を保つアルバートとリズに向かってまくしたてる。
「だってお前、お前十九だぞ? 今年十九歳の、いやまだ十八歳の未成年の若者だろ?
 確かに俺は予言を信じちゃいないさ、神も悪魔も宗教さえ信じない不敬者だ、だけどおかしいだろ。
 予言が出たのはいつだ? つい最近じゃないか。しかもまだ眠ってるそうじゃないか――」
「眠ってるのは他の神の使いだよ」
「――うるさい。口を出すな。いいか、たわ言はもうたくさんだ。俺はそんなことを聞きに来たんじゃない。
 いつだって俺はお前のために嫌な尻拭いもしてきたじゃないか。そうだろ? それがこの仕打ちか?
 俺がそういうことを嫌な顔一つせずやってきたのは、お前が結局は国のためになることをしてるってのをわかってたからだ――」
『それは初耳だ、そうなのか?』
「――黙れって言ってるだろこの人間未満野郎。お前も後で絶対に仕掛けをばらして吊るし上げるから黙ってろ。
 仮にお前の言葉を信じたとしても、こいつといつ知り合った? もし、もし仮に! この男が本当に幽霊だったとしたら、
 もし元神の使いだとか言うなら、こいつはいつ生まれていつ死んだ? その時にお前は何歳だ?
 どれだけ愚鈍でバカな奴でもこれくらいわかるだろうよ、ああ、俺がバカとでも思うか?
 くだらない御託はいいからさっさと目的を言えよ、俺をバカにすること以外に目的があるなら言ってみろよ!」
そこで大きく息を吐いた。
積もり積もった鬱憤を吐き出したものの、それでレオンの気持ちが清算されたわけではない。
何しろ、そこまで矛盾を暴いたにもかかわらず、二人は仲良く涼しげな顔でこちらを見守っていたからだ。
むしろレオンを哀れみの目で見ているような気さえした。
仲が悪いのか良いのかはっきりさせろとまた爆発しかけたが、彼はすでに疲れきっていた。
それにそんなことはどうでもいい。今の問題は、二人が何の話をしていて、それに自分がどう関係あるかだ。

アルバートがそこで初めて屋上から降り、彼らと視線を合わせた。
「混乱している君に何を言っても無駄だね」
そのままだから要点を言おう、とレオンに詰め寄る。
「予言も神も悪魔も神の使いも存在する。そして僕は神の使い――」
「だからそれは、」
「――ちょっと黙ってくれるかな」
今度はレオンが制される。穏やかだが有無を言わせない語調に、そして無感情な瞳を眼前にして、レオンも口をつぐんだ。
「僕の使命は唯一つ。それは、王を殺すことだ」
王とは、すなわち神――彼は神の代弁者ではあるが――のことではないのか。神殺しを神自らに仰せつかったとでも言うのだろうか?
レオンの脳裏にまたしても疑問が浮かぶが、口を挟むことはしなかった。
今のアルバートにうかつな行動をとればどうなるのか、それは彼が一番知っている。
こんな僻地で物言わぬ死体になることだけは御免こうむりたかった。
「今は信じられないかもしれない。なら、邪魔をしないでくれるかな。邪魔をするのはリズだけで十分だよ。
 そもそも僕は今、君を呼んだわけじゃない。今は君は必要じゃない。だから最低限、さっき言った僕の言いつけを守ってくれればそれでいい」
――神の使い候補を放っておけ。
つい先ほどアルバートの発した言葉が蘇る。
「すべてが嘘か本当かは、近いうちにわかるよ。そして僕に協力することが、レオンの望む世界のためでもある。
 君はいつだって僕を信じてくれていた、そうでしょう? 僕は君を裏切るようなことはしない」
それだけで十分だとばかりに、アルバートは話を切った。
だがそれだけで納得しろと言う方が無茶なものだ。レオンはやはり、腑に落ちないと顔をしかめていた。
対するアルバートはむしろ、なぜこんなにも理解が悪いのかとでも言いたげにまた髪をかきむしっている。
この場合、自分の納得よりも彼の機嫌をとっておくほうがいい。レオンは不承不承に頷いた。






BACK / NEXT






NOVEL-TOP HOME

Br