改めてアルバートは、幽体にもかかわらず待ち疲れて片足で立つリズに向き直った。
『痴話喧嘩は終わりか』
露骨にあくびをするリズ。レオンのことなどどうでもいいと態度で示している。
「君の存在が一番腹立たしいんだけどね」
にっこり笑いながら言うのでは全く説得力がない。
あくまで笑みを絶やさないアルバートに、リズは嘲笑を返した。
「君はなんなの? どうして僕たちの邪魔をするの?」
『僕たち、とはずいぶんな言いようだ。望んでいるのはお前一人だけだろうに』
やはり会話の内容が何を意味するのかはわからない。
アルバートもリズも自分が望んだ答えを返してくれないのなら、自力で理解するしかない。
レオンは意味はわからずとも、一字一句を聞き逃すまいと集中した。
言葉通りにとるのであれば、リズは同じ神の使いでありながら、アルバートの邪魔をしているようにとれる。
「君のせいで、たくさんの人が死ぬんだよ」
そして、リズが使命の邪魔をすることによって、大勢の犠牲者が出る。
『責任転嫁は一人前だな。殺すのはお前だろうに』
レオンは何か引っかかるものがあった。
そもそも、彼は何のために街中駆け回ってアルバートを捜したのであったか。
アルバートは四人の兵士を殺した。
それは、予言でいうなれば悪魔のしたことだ。
彼が悪魔なのかどうか、その真偽を確かめるために出向いたのではなかったか。
――アルバート本人は神の使いを自称しているのに、予言では悪魔となっている。
しかも、リズの言葉が現実に起こりえるならば、予言の後半に述べられた市民の死は、悪魔が起こすものであったはずだ。
次々と矛盾が生まれ、それに悩むレオンを尻目に、二人の会話は進んでいく。
「今まで何度も、仲良くやってきたじゃない。どうして今更こんなことをするの?」
縋り付くような弱々しい口調に反した攻撃的な鋭い視線。
つかみどころのない相反する態度にレオンは何度も手を焼いてきた。
だが、相対するこの男はそれを受け流すでもなく正面から向かっている。確かに二人には、少なからず縁があるようにも見えた。
『俺は仲良くやってきたつもりなんてない。うんざりしてたんだよ』
「君も傲慢だね。同じことをあの人が思ってるなんて本気で考えてるの?」
先ほどから頻繁に会話に出てくるもう一人の存在、「あの人」とは誰のことなのだろうか。
レオンが取り乱した時にアルバートが茶々を入れた、「まだ眠っている」というもう一人のことなのかもしれない。
仮定に過ぎない彼の予想を多少確信へと変えたのは、リズの切り返しだ。
『いくら読んでも目覚めないなら眠り続けていたいということだろう』
やはり、眠っているとされる、予言にある神の使いのことなのか。
「本人の意思を尊重しないと嫌われるよ。君が眠らせているんでしょう」
リズの言葉に、アルバートが大仰に手を広げてみせる。
「だから、僕は君を呼んだんだよ、リズ。僕の理由はただそれだけ」
待っていたら邪魔が入ったんだけど、と視線はレオンに移された。
さんざん捜し回って突拍子もないことを言われ、困惑していたところにわけのわからないものを見せ付けられ、無視され、
挙句の果てに邪魔だなどと言われては心外もいいところだ。
こちらからしたら彼ら二人のほうがよっぽど痴話喧嘩だ。
この場にいない者のことをだしにして、お互いがお互いの罪をなすりつけあっているだけではないか。
そう思ったが、レオンはもはや文句を言う気さえ失せていた。もう好きにすればいい。
開き直って新しい煙草に火を点けた。
渦中の二人はやはり、今にも殺し合いを始めそうな雰囲気で睨み合っている。
開き直ってみたものの、渦中の真ん中にいることはやはり躊躇われた。背中の嫌な汗が、服をべたつかせる。
めまぐるしく心境が変わっていくレオンをよそに、アルバートは更に深い笑みを顔に貼り付けて言った。
「どうあがこうとあの人は目覚めるよ。だって目覚めたがっているから」
ざわざわと木々が不穏に揺れた。ぬるい風が張り付いた服を撫でる。
甘い声音がレオンの耳に不快感をもって届く。一語一語、まるで幼子に言い聞かせるような口調。
さっきまで四方で鳴っていた虫たちの声もぴたりと止んでいた。
「だからくだらない抵抗はやめたほうがいい――」
笑っている。笑っているが、アルバートの目は、光さえも拒絶して灰色に澱んでいた。
かきむしっていた手を止め、自分の髪を掴んだまま彼は澱んだ目でリズを見据えた。

「――悪い子は、殺されちゃうよ」

不吉な雰囲気を察知し、思わず後ずさった。全身の毛が逆立つような殺気に気圧され、息を呑んだ。
彼は、アルバートは、怒っている。それも尋常ではないほどに。
このリズという男が現れてから、彼の機嫌は少なからずいいものではなかったが、それが一気に噴き出したかのようだ。
月の光はこうこうと降り注いでいるのに、大きな瞳を最大限に見開いているのに、光が彼を拒絶している。
今までに何度か見た光景。そしてその後には、死体しか残らなかった。
――英雄と呼ばれた彼の正体をレオンはよく知っていた。
ただ自分の沸点に触れたものを残らず殺すだけの狂人。罪悪感のかけらもない殺人鬼――
英雄の実情を、そして怒りに触れた者の末路を知っている身としては今すぐに逃げ出したいほどだった。ここに残っていれば、どうなるやらわからない。
全身の毛穴が総毛立つのを感じながらも、それでもレオンは理性でこの場に踏みとどまった。
『お前に俺が殺せるかな』
殺意の対象であるリズ。アルバートに絶対に殺されはしないという自信がレオンの弱気を叱咤していた。
彼は正面から狂気を受けてなお、片眉を上げるだけにとどまっている。そして更に挑戦的な言葉を放つ。
もはやアルバートはリズの挑発にも乗らなかった。既に激情は沸点をとうに超えていたのだ。
何を言っても聞きはしない。事実、彼はリズの言葉などまるで聞こえていないかのように、あの甘ったるい声で自分の言葉を続けた。
「警告するよ。邪魔をするな、話しかけるな、関わるな、現れるな。僕にも、あの人の前にも」
緩慢な動作で左脇に隠されたナイフを抜き、構えるでもなくリズに突きつける。端から見れば、差し出しているようにも見えるだろう。
数多の血錆を受けたまま拭われもせず粗雑に扱われ、ぼろぼろに朽ちた鋼の塊。
脅すにはあまりに説得力のない口調、声色、行動、凶器。
油断して彼を否定した者の末路は、つい今朝方目にしていた。
もしもレオンが切っ先の向こうにいたなら、何もかもを捨てて服従を誓うだろう。
だがリズの顔色は毛ほども変わらない。むしろ一歩み、腕を伸ばして刃先に触れた。
触れたはずの指はそのまま突き抜けて刃の中に沈み込む。本当に、血も、骨も、実体もなかった。
自らの指先が鋼の中に入り込むのを見て、せせら笑う。
『お断りだ』
そう告げるや否や、リズの体は靄の飛沫となって霧散した。
さっき立っていたはずのアルバートの姿もそこにはない。一拍遅れて、風が勢いよくレオンの髪を巻き上げた。

しばらく静寂が続く。レオンは手に汗を滲ませながら、それでも煙草を吸っていた。
一本吸い終わっても、アルバートもリズも姿を現さなかった。虫が再び密会を繰り広げ始める。
何もかもに取り残された彼は、何かを考えることさえ放棄してまた新しい煙草に火を点けた。
結局わかったことはたったひとつの命令だけ。
腰を下ろして、やりきれない鬱憤をすべて肺に溜め込んで、吐き出した。






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