煙の臭いがする。
それも、人の脂が混じった臭い。
荷物を抱え、足取り重く焼け焦げた山を登る人の群れ。
私は、太った女性に抱きこまれるようにして、その群れに紛れている。
「大丈夫かい?」
足取りが重くなったのを察してか、女性は疲れた、それでも人のいい笑顔で私の顔を覗き込んだ。
私は頷く。
手を引かれて山を登る。
寒いはずなのに、焼かれた空気が肌に痛い。
とうに塞がった耳の穴に錐を突きつけられているような緊張感。
耳を覆って、下を見つめて、臭いに耐えた。
「寒いのか」、と言って私に大きすぎる手袋をくれたひと。
シラーおじさんは翌日、取り残された子供の死体を助けようとして死んだ。
「育ち盛りは食べなきゃダメよ」、数少ない食料を分け与えてくれたひと。
痩せ細ったニナおばさんは数日後、動けなくなって捨てられた。

たくさん死んだ。燃やし、埋めて、放置し、捨てた。
でも、みんな名前を覚えている。

「男は強くならなきゃあ」、と私を鍛えようと叱咤してくれたひと。
モリスおにいちゃんはまだ生きている。
「優しい子に育ちなさい」、暖かな手で私を眠らせてくれたひと。
イルダおねえちゃんもまだ、生きている。
たくさん死んで、それでもたくさん生き残った。
私はみんなの名前を覚えている。優しかったあのひとたちを覚えている。
みんな、悲しくとも笑っていた。
私はその輪の中でためらいがちに笑っていた。
煙の臭いはどこまでもどこまでもついてきたけれど、手袋があるから安心した。
食べ物をくれる優しさに落ち着いて、叱咤に心を強くして、
恐れを忘れて深く眠った。

山はまだ燃えている。ずっとずっと燃えている。
シラーおじさんが、ニナおばさんが、同い年だったコルネリア、まだ幼かったテレンス、
ソニア、アドルフ、ユーリー、テディ、ジョナス、カレン、ノーラ。
彼らを燃料にした地獄の炎が、脂混じりの煙をのぼらせて、ごうごうと燃え盛っている。

モリスおにいちゃんが死体を一つ、放り込む。
大きな火花が飛び散って、炎はあのひとまでも取り込んで、
「おまえのせいで、おまえがわるい、あるものをたべてなにがわるい」
燃え盛るのは老いたモリス。
私は弱い子供のまま。近づいてくる。怒りに燃えて、泣きながら。
頭に響く絶叫は、きっとおさない私の声。
ぼきんと体に鐘が鳴る。

イルダおねえちゃんが死体を一つ、放り込む。
大きな火花が飛び散って、炎はあのひとまでも取り込んで、
「ほんとうにすきだったの、あんたみたいながきにあたしのきもちなんてわかるわけないじゃない」
燃え盛るのは皺まみれのイルダ。
私は愚かな子供のまま。怒りに燃えて、腕を伸ばし、私を抱く。
燃える。燃える。燃え盛る。喚くおさない私の声、醜いと泣く醜い女。
ひゅうひゅう喉が締め上がる。

燃え盛る山のふもとに、子供が一人うずくまっている。
太った女性、釣り目の男、大きな女の子と小さな女の子がそばでそれを見守っている。
子供は死んだように動かない。なのにみんな見守っている。
それは弱くて愚かな私。知らずに罪を重ねた子供。
私は子供の手をとった。顔を隠すための前髪、ひどく腫れて見える頬。
「嫌なことは忘れていいんだ」
そう言うと、子供の私は顔を上げた。
「これも?」
赤黒くうっ血した首を指す。私は頷く。
「これも?」
不自然に腫れて歪んだ腕を差し出す。私はそれも頷いた。
子供は力なく首を振った。
「忘れられるわけない」
「それでも、忘れればいい」
私は私に言い聞かせる。
「そうすればきっと、あの人たちも忘れてしまうから」
燃え続ける山を見上げた。子供も背後の山を振り返る。
山の頂上には二人の男がいた。炎に焼け爛れながら、それでも生きて、男たちの間に横たわる何かに目を落としている。
「あの人は?」
子供が尋ねた。横たわるのは人。だけれど、ここからでは、立っている二人でさえも遠すぎて見えない。
見えない。

「あの人のことも、忘れてしまうの?」

私は頷いた。
「覚えていないことまで思い出す必要はないんだ」
子供の手をとって、燃え盛る山を背に歩き出す。
ごう、と強い風が吹き、炎が一段と高く舞い上がった。
振り返ると、黒く朽ちていく四つの影が見えた。
その頂上で、息を吹き返し起き上がる「あの人」。
三人となった彼らは煙を噴き出しながら、それでもこちらを見ている気がした。
「ねえ」
子供が、歩き出そうとしていた先を指した。
そこにはまた、二つの人影。
「どっちに行けばいいの?」
わからない。
私には、わからない――。






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