階段を降りホールを抜ける途中、敵対心をむき出しにした彼らの視線が突き刺さってきた。
これ見よがしに陰口を囁きあう者たち。レオンは彼らに、あえて目を向けなかった。
ホールの出口に待ち構える、恰幅のいい女性。大多数ほどではないが、ドナもまた彼を好ましからざる目で見ていた。
「これで全員でしょう」
やや険を含んだ彼女の声に、レオンは無言で頷いた。
戦争難民のコミュニティでは兵士は歓迎されない。言われずとも、早々に退散するつもりではあった。
「それじゃあ、もう――」
「――申し訳ないが」
だが、問題が二つほどある。
一つは問いただせば済む話だ。もう一つは、どのように対処すべきなのか、そもそも対処するものなのかどうか。
「ちょっといいか」
レオンが手招きしたのは、マギーとキャスだった。
予想してもいいだろうに、二人は露骨にぎょっとして固まる。
施設ぐるみで何かを隠している動き。
余所者に隠したいことなのか、軍に隠したいことなのかで重要さは変わってくる。
「あの男の情報については間違いないんだな?」
二人を外に連れ出し、まずは急務の問題について詰問した。
あの男とは、神の使い候補とされたレンツ・ヴァイルのことだ。
「間違いないって、どういうことですか」
マギーが問い返す。レオンは早々に胸ポケットを探り、
「ガセネタ、単なる噂だという可能性はないのか」
忌々しげにマッチを擦った。
「そんなはずはないです」と、マギーが首を振る。
「施設の人も街の人も知ってることですし、だいたい本人も自覚してたって……なあ、キャス」
「あ? あー」
唐突に振られ、慌ててキャスが振り返る。
一体何を見ていたのかと怪訝そうに向こうを覗くレオンを遮りつつ、
「そう、そうだ。当然だと思ってたみたいだけど、自覚っつうか、そう、してた」
曖昧ではあるが自信ありげな口ぶりに、レオンはいっそう気難しげに煙を吸い込んだ。
何か問題でもあったのかと顔を合わせる二人。
特にキャスは、何か思うところがあるのか憔悴しているようにも見えた。
明らかに隠し事をしている。それでもわざと見過ごしてレオンは口を開いた。
「本人に聞いたら、そんなものは世迷言だと笑われたよ。そもそもお前と話してたことも忘れてたぞ」
ここ数日の鬱憤を含めた煙を空に吐き出す。
マギーはさして驚いた様子ではなかった。だが、キャスは一拍置いて何かに気付いたように目を見開く。
――さすがに看過できる程度を超えていた。
だが、レオンはマギーに「驚かないのか」と尋ねる。彼女は肩を竦め、
「ここに来た時、聞いたじゃないですか。あの人は今、ちょっと……」
「病気だとでも言うのか? ずいぶん健康そうな病人だな」
レオンが突っ込むと、言葉を詰まらせて反論を探す。
実際、彼らも混乱しているらしかった。
「どんな状態なんだ?」
あんな何もできなさそうな男のことを気にかけなければならない現状に辟易しながらも、レオンは尋ねた。
少なくともまだグレーゾーンとなれば、やはり把握しておかなければならないだろう。
施設の者に聞くことはできない。敵対心以前に、この話はそもそも極秘なのだ。
マギーが拙い語彙でレンツの現在の状態について説明する。
若干の記憶障害、心神喪失……特に、過去にあったトラウマであろう事件などは一切忘れているといったこと。
その事件の原因はすべて、レンツの視力に関係するものであること。
「……まあ、それが本当なら、視力の話も忘れちまってるのかもしれんな」
レオンは顎を撫で思案し、「だが、」と続けた。
「それでも見えるもんは見えるはずだろう。きちんと調べちゃいないが、あれは見えているような素振りじゃなかった」
三人が沈黙した。

「それで、お前は?」
先ほど取り乱したキャスに向かって投げかけた。
沈黙の間も、一人深刻そうに俯いていたキャス。聞き出すなという方が無理な話だ。
だが案の定、キャスは自分に向けられるとは思っていなかったらしく目を泳がせる。
無意味な唸りを数回続けたが、ようやく口を開くと、
「俺のせいかもしれない」
「はあ?」
「いや、だって」
まとまらない言葉を必死でかき集めて、キャスは思いを語り始めた。
「俺と話してからなんだよ。あの時から、……おかしかった」
「屋上に行った時か? 初耳だぞ、おい」
マギーの横槍に躊躇いがちに頷いた。
「あの時も、最初は気付いてないみたいな感じだった。けど、わかってたんだと思う。それで……。
 俺と話したことも忘れてるって聞くまでは、ずっと、俺が言い過ぎて落ち込んでたって思ってたんだけど」
そこまで聞いて、レオンは何度目かわからないため息をついた。
彼らの懺悔を聞くためにここに来たのではない。少なくとも今の段階で、収穫はゼロに等しかった。
怪しいと思ったキャスの挙動も、突き詰めてみれば単なる罪悪感にすぎないとは。
だが他に何を探せと言うのだろうか。
――特殊能力だと? 馬鹿馬鹿しい。アルバートに釘を刺されるまでもない。
「それじゃあ、俺は行くから」
弁明と推理の続くキャスの言葉を切って、レオンは立ち去ろうとした。
「ちょっと……ちょっと待ってくださいよ」
マギーの制止の声に、大儀そうに目だけ送る。
「神の使い候補、っていう話の、その、保護とかは……」
「知らんね。少なくとも俺はそれを見たわけじゃないし、錯乱状態の奴を引っ張り出しても埒があかん」
「だけど――」
「――そんなに確信があるなら、お前らでトラウマとやらをなくしてやったらどうだ。他の候補を捜す気もないんだろう」
反論を探そうと口ごもるマギー。前回から察するに本来はここいらで沸点を超えているであろうキャスも、己の世界に閉じこもっていた。
レオンは無駄な屁理屈を返される前に念を押した。
「自分たちのことで精一杯ならしゃしゃり出てくるな。そもそもお前たちにも、あの男にも期待しているわけじゃないんでね。
 一応、あの警備の兵士にも目的は伝えてある……三人で協力してみたらどうだ? 尤も」
窓を見上げる。聾唖の男と、黒髪の兵士が親しげに談笑を交わしているのを見やり、レオンはそこで煙草を揉みつぶした。
「お前らより役に立っているようだがね」
その言葉に、二人ともレオンの視線を追った。
「あいつ……?」
呟いたのはキャスだった。
「知ってるのか?」
意外そうにレオンが問う。だがキャスはややあって、「気のせいだ」とかぶりを振った。
「ともかく。何か進展があれば報告してくれ――」
――ここらで、もう一つの方を探ってみるか。
「――神の使いに限らず、不審な点があるならな」
レオンの思わせぶりな言葉に、今度は二人そろって肩を跳ね上げてみせた。
本当に隠す気があるのだろうか。それが何なのかは知らないが。
だがレオンはそのまま息をついて、疑わしきを放ってそのまま丘を降りていく。
二人の制止の声など聞こえてさえいないように、ゆったりとまた煙草を取り出した。
何を見るでもなく、無表情に煙をのぼらせる。

わかりきった茶番劇に参加させられるのも、得体の知れないお遊びにつき合わされるのもうんざりだった。
明らかに後ろに何か大きなものが隠されている、それがわかっているのに正体がわからない薄気味の悪さも、彼の不機嫌さを冗長させる。
……薄気味悪いと言うのなら、この田舎町すべてが薄気味悪いのだ。
何かを隠す施設の者。なぜか忌み嫌われている一人の男。当の男は自らの境遇を知りもしない風で、その実精神を病んでいる。
そもそもアルバートは、こんな街でなぜ惨殺事件などを起こす必要があったというのか。
あの男は理解不能だが、何の意味もなく人を殺すほど破綻してはいない――そう考えたところで、昨夜の光景が浮かんだ。
そしてすぐに打ち消す。
理解しがたいことに没頭するより、レオンは今からの自分の立ち位置について考えることにした。
自分は今、何をすべきなのか。
殺人事件の犯人を捜す必要はない。しかし捜査はしなければならない。更に、犯人がすぐそこにいることを誰にも気取られてはいけない。
神の使いを捜すことに関しても、手がかりはあの根暗な男しかいなかった。だが自分が近づけば誰もが不審に思うだろう。
ならばやはり、伝教者二人と――あの男に放り投げておくしかない。
「……ああ、」
――何もできないじゃないか。
できることといえば、それこそ監視するだけだ。
自嘲の笑みをもらすこともなく、ただただ煙を空に吐き出す。

ふと、ふもとから一人の兵士が駆け上がってくるのが見えた。急いでいる様子で、レオンを見るやいなや彼の名を叫ぶ。
「進展が?」
息を切らせて目の前まで来たところで、レオンは短く兵士に問うた。
兵士は肩を上下させつつ、
「死体が――発見されました」
そう告げた。






BACK / NEXT






NOVEL-TOP HOME