レンツが仇敵二人に気を揉んでいる頃、そしてレオンが二度目の検分をしている頃。
デントバリーから離れた国土の中央に座する首都キーテジはいつも通りの日常を営んでいるように見えた。
円形に成した都市は僻地であるデントバリーとは大きく異なり、頑強な石造りの四角い建物が木々のように立ち並んでいた。
その隙間を縫うように小奇麗な服をまとった男女が行き交い、角で新聞を売り込む少年に小銭を渡しては貴重な紙媒体が屑籠へ消える。
新聞の一面には軍家の名門セルバシュタイン家の子息がまた消息を断ったという見出しや、幾度目かの敵国との会談を報じる記事が載っている。
片田舎で起きた猟奇的な事件のことも取り上げられてはいたが、情報が少ないせいかはたまた別の理由からか、一面の記事ほど大々的ではなかった。
「デントバリーで猟奇事件か、ですって」
「デントバリー? ああ、あの南東の。恐いわねえ。そうそう、この会談って……」
街路を行き交う人々の中には事件について話す者もいる。しかしやはりどこか絵空事のように語られ、見る間に風化していった。

街路では白いローブをまとった一団が列をなし、不気味なほどの静けさで行進する姿が散見される。
異様な光景もこの街の住人にとっては日常なのだろう、彼らに目を留める者はいない。
一団はわずかな衣擦れを鳴らしながら、古びた石造りの建物に吸い込まれていく。
それは円形の街、更にその中心に聳え立つ、デントバリーが丸々入ってしまうのではないかというほどに巨大な教会だった。
キリル信教の本拠である大聖堂。ここでは信者たる国民のための聖祭が日夜開かれ、上位下位の修道士たちが祈りを捧げながらそれぞれ寝食を共にしていた。

「予言だなどと……先代も先々代国王もそのようなことを言ったことはなかった」
しわがれた声が言った。窓のない閉塞的な石の空間、ランプのわずかな光に灯された顔は苦渋に満ちている。

大聖堂地下、限られた者しか入れない部屋の中、密やかな会合が開かれていた。
四方八メートルほどの室内の中央には長机が置かれ、祭服を纏った人々が座っている。数は十人ほどか。彼らは満遍なく着席していたが、唯一最奥の一端だけが空いていた。
彼らは皆五十代を過ぎており、先ほど発言した男も即頭部に残された頭髪は白く染まっている。
街の往来や大聖堂の中を行き交う修道士のローブと似た形、似た色だが彼らの簡素なそれとは異なり、老人たちの纏う祭服にはそれぞれ凝った飾りが設えられている。
「青い者は青い者なりに我らの言葉を聞けばよいものを。先日の会談といい、いささか勝手が過ぎるではないか」
「若い者は向こう見ずで困りますな。国民の心を撹乱してどうするつもりなのか」
最初の男に別の男が同意する。数人は無言で頷き、残りは肯定も否定もせず無視を決め込んでいた。
しかし異議の声があがる。
「しもべたる我々が猊下を信じず、誰が信じてくれましょう」
落ち着いた調子でそう言ったのは、痩身の老人だった。
最高齢ほどではないがおそらく七十代であろう。縁のない丸眼鏡の奥に覗く理知的な瞳が、先の二人を静かに咎めていた。
「ホープウェルか」
最初に発言した禿頭の男が苛立たしげに言った。
「私とて猊下を信じないとは言っておらん。ただ、早計に過ぎる……昨今の猊下の様子は明らかに異質だというだけの話だ」
「これまでの慣習を捻じ曲げるということがどれほど異例か、猊下もよくわかっておいででしょう。それでもというのなら、やはり信頼に足る奇跡があるはず」
「しかし国民に説いて回らねばならぬのは我々だ。殊に信心が低下しているというのに予言だなどという突飛な話、誰が信じようか」
「我々が信じればよいというだけの話です」
にわかにざわつく室内。だがホープウェルと呼ばれた老人と禿頭の男との静かな論争に口を出す者はいない。
そんな中、ほう、と大げさに声をあげた男がいた。禿頭に同意した男。恰幅のいい肌に半ば埋もれかけた小さな目をきょときょとと動かす。
「さすがはホープウェル首司祭ですな。確か予言の仔細確認に赴いた二人はあなたの弟子だったと記憶していますが」
その言葉に禿頭の男は水を得たりと大きく頷いた。
「ああ、あの不良くずれか。こちらとしては清々している。私の弟子たちがあれにどれほど迷惑を被ったか」
「彼らは敬虔な神のしもべです」
静かにホープウェル首司祭が告げる。落ち着きはあったが、わずかに険を含んでいた。
「彼らは神の何たるかを理解し、自らの成すこともまた理解しています。猊下に隠れこのような場を開くあなた方……レイモンド主教こそ、改めるべきではないのですか」
「物言いに気をつけることだな。だから貴様は首司祭止まりなのだ」
今度は禿頭の男、レイモンド主教が声を荒げた。
しかし彼の脅しに屈するでもなく、ホープウェルは厳しい眼差しでレイモンドを見据える。
白熱するかと思われた二人であったが、
「……まあ、まあ。今議論をしても始まりますまい」
荒れそうな雰囲気を察してか、のんびりとした声が仲裁に入った。
バーンズ掌院。浅く皺の入った目尻を細め、組んだ丸っこい手を机の上に載せた。
「猊下のお決めになられたことを我らが四の五の言うのは無駄なこと。これから何をすべきか、今決めねばならぬのはそこでありましょう」
朴訥とした笑みを浮かべたバーンズの言葉に、レイモンドもひとまずは落ち着きを取り戻す。
ホープウェルもまた他の面々に頭を下げ沈黙した。
「そう、これより先、我ら臣下が猊下のために何をすべきなのか。それを決するために――」

「――何をすべきか、ねえ。今更決める必要があるのかどうか」

レイモンドの前口上を裂いて、集団に似つかわしくない若い声がした。一同は驚きをもって注目する。
薄暗い空間の中、ランプの光が及ばないそこから現れたのは、やはり祭服を纏った男だった。
同じく白を基調とした祭服だが、青や銀の細やかな刺繍が絢爛に布地を躍っている。首にかけられているものも他の者たちと同じ十字架ではなく、十字架を模した豪奢な首飾りだった。
中央の殊更に大きな宝石が薄暗がりの中でも淡い黄色の光を反射している。

水を打ったように静まり返る老人たちを意に介さず、男は空いていた最奥の席に腰掛ける。
ようやく光を得た男の顔。権威の象徴を身にまとったその姿とは相反して、その顔はごく貧相に見えた。
病人のように白い肌は青みを帯びている。その割に肌のところどころで黒ずみが見え、ひどく不潔な様子が窺えた。
早くも垂れ下がってきた瞼の奥にはひどく疲れた瞳が覗いている。目の下には隈が深く刻まれ眼窩がありありと影を落としていた。
無造作に束ねられた黒髪は傷みきって、所々に白いものさえ混じっている。
どう見ても壮年にしか見えない外見だったが、再度発した声はやはり不似合いなほど若かった。
「予言というものが何なのか、おまえたちはまるでわかっちゃいない。何をすべきか? 何をすべきか、じゃない、何もかもすべきなのさ。私のしもべたちよ」
年齢不詳めいた雰囲気の男ではあるが、どう見ても周囲の老人たちよりは若年だ。
にもかかわらず男は不遜な口調で彼らに語りかけ、嘲笑まじりに言葉を締める。
先ほどまでホープウェルの不敬な態度に腹を立てていたレイモンドはそんな男の嘲りに対し無言だった。
それどころか誰もが無言を貫き、浮浪者と言っても差し支えないほどに薄汚れた男へ向かって頭を垂れていた。

キリル・コースチン二十一世。
この国を統べ、神の代弁者としてキリル信教の頂点に立つ教皇こそが、最奥にだらしなく座る男の正体であった。
「私が常に奥で縮こまっていると思ってもらっては困る。だから内緒話は困る。実に困る。何が困るって、不敬だからさ。誰がこんなことを言い出したのかねえ」
整えもしていない髭面をさすり王が問いかける。誰も応える者はなく、一様に頭を垂れたまま押し黙っていた。
その裏ではレイモンドが顔を歪め、わずかに脂汗を滲ませている。
今まで幾度となく国王抜きの会合を重ねてきたが、それに割って入ってきたことなどなかったのだ。
会話が筒抜けであろうとなかろうと、王は彼の、彼らの言うがままだった。それなのに、なぜ今になって介入するのか。
以前とは明らかに様子の変わった主君の姿に、言い知れない不安を抱いていた。
「まあ、予言を信じないのならね、仕方ない。だがいつもいつも言っているだろう、信じる者は救われるが、信じぬ者は救わないとね」
緊張感のかけらもなく、王は手をそのまま首にかける。関節がゴキリと鳴り響いた。
「まったく肩が凝って仕方ない。監禁生活も疲れるもんだ。……ああ、それで、レイモンド君」
レイモンドは微動だにしなかった。
王は構わずレイモンドの禿げ上がった頭に呼びかける。
「レイモンド主教。私のいとしいしもべの一人。顔を上げなさい」
その言葉に、ようやくレイモンドが首を上げた。
目は伏せているが、脂汗でてかった肌と血の気の引いた顔色から動揺が伺える。
「おまえは私にとてもよく尽くしてくれた。父が崩御した後私を地下へ閉じ込め、毎日毎日王とは何たるかを教えてくれたね。
 わかっている、わかっている。私の仕事は祈ること。魔の及ばない神聖な地下の祭壇で祈りを捧げ、そして神のそばに仕え穢れを祓うのだろう。
 なにしろ父の姿もひどいものだった。この間敵国に行ったけどさ、彼らは私のことを「乞食の王」と嘲っているらしいね。初めて知ったよ」
乾いた笑い声が陰鬱な石室に響く。自嘲めいた言葉と裏腹に喋り口には抑揚がなかった。
「……」
レイモンドはやはり喋らなかった。
王はわざとらしくため息をついてかぶりを振る。
「いつも不必要なほどに喋る口はどこへ行ったのかねえ。不心得者め。おまえの神とは一体誰なのだ」
「……我らの神は唯一にして無二。名を呼ぶことも許されぬ、」
問いに渋々と口を開いたレイモンドだったが、王は彼の答えを許しはしなかった。
「私が聞いているのは教科書問答ではないよ。おまえの言葉で言いなさい。おまえの神とは、信ずる者とは?」
「……。土の下にて万物を見守る神を私は信じています」
「ほう。つまり私は信じていないということだね。その神から賜った予言もまた信ずるに値しないわけだ」
それは困った、と額に手を当て悩む素振りをするが、やはり声にも顔にも変化はない。
他の老人たちは二人の問答に耳を傾けてはいたが、一様にうなだれたまま沈黙を貫いていた。
「私の予言の通り、デントバリーで生贄が四人殺されたよ。これからもっと惨いことが起きる。
 おまえは全てが起きて、全てが終わったあとにならなければ私を信じはしないのだろうか。ならばおまえのいる意味とは何なのだろうか」
内心で見下していても、レイモンドには真っ向から反旗を翻す度胸はないらしかった。
得体の知れない王の挙動に怯え、意味のない問答を繰り返す王の真意を掴めずただ憔悴している。
「そうだね。私はもはや、お前の知る傀儡ではない」
レイモンドの心を見透かしたように王が告げる。
「おまえの言うことを復唱し、おまえの言うようにことを進めてきた私ではない。巣立ちの時が来たのだよ。おまえは獣にさえ劣るのかね」
わずかにレイモンドの眉が動く。さすがの彼も侮蔑の言葉に苛立ちを隠せない様子だった。
心境の変化を察してか、王が眠たげにも見える疲れた眼で臣下を一瞥した。






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