軽く見回りに付き合った後、遅めの昼食をとることにした。
私としてはできるなら自室で食べたかったのだが、「食堂に行ってみたい」というルイスの発言を無下にすることもできずそちらへ足を運んだ。
だだっ広い部屋の中には誰もおらず、厨房のそばでドナが一息ついているところだった。
「おや、レンツと……」
ドナは私を見つけて物珍しげに立ち上がる。思えばこれまで彼女と顔を合わせない日はなかった。懐かしさを覚えるのはそのせいだろう。
だが私よりも、ドナはその隣にいる人物の方が珍しく映ったようだ。あるいはその組み合わせにか。
最初に挨拶はしたのだろうが、名前を思い出せないようだった。それを察してルイスがここに来て何度目かの挨拶を済ませる。
「そう、そうだったね。歳を取ると忘れっぽくなって困るね」
苦笑するドナの表情は少し強張っていた。
「で、どうしたんだい? わざわざこんなところまで来て」
尋ねる彼女に、昼食は残っていないか聞こうと胸ポケットを探る。
「散歩していたら時間が過ぎてしまって。昼食をもらおうと思ったんです――残り物で十分なんですけど、手間なようだったら何か適当にしますので」
だがその前にルイスが丁寧に尋ねた。私には声の調子まではわからないが、先日の兵士とは違い嫌味のない言い回しだと思う。
街生まれの田舎兵士ならともかく都会の兵士はとにかく横暴なことが多い。それに比べるとやはりルイスは圧倒的に礼儀正しいと言えた。
ドナも予想外だったのか、目を瞬かせていた。
「ああ……ああ、それならちょうど余ったものがあるよ。でもこんな粗末なもの、都会の人の口には合わないと思うけどね」
少し慌てた様子でドナが前置きする。彼女にしては珍しく謙遜していた。
嫌味のない丁寧さは嫌でも垢抜けた印象を与える。彼自身の顔立ちも相俟っているのだろう。
ルイスはそれでも申し訳なさそうに、「すみません、お願いできますか」と頭を下げた。これにドナがよりいっそう慌てているのが少しおかしい。

「よかったですね」
急ぎ足で厨房に戻る彼女を見届けた後、ルイスが言った。
それは昼食にありつけてよかったということと、私への反応も普通だったということの二つの意味なのだろう。
後者に関してはまだ何とも言えないが私は頷いて、適当な場所へ座るよう彼を促した。

しばらくしてドナが持ってきたのは、心なしか品数は多いがいつもと変わらない料理だった。そして私よりも彼に盛られた量の方が多い。
「本当に、余り物と賄いくらいしか作れなかったけど」と申し訳なさそうに言う。
しかしルイスは目の前の田舎料理に嬉しそうだった。
「――すごい。昨日は遅くに来ましたし、いろいろあって言い出せませんでしたけど。食堂があるって知った時からずっと食べてみたいって思ってたんです」
いただきますね、と言ってスプーンを持つ彼は本当に楽しみにしていたようで、物珍しげに一品一品を眺めては満遍なく食べ始めた。
まるで歳相応、いや年齢より幼いと言えるほどの無邪気な様子に驚きつつ、どことなく微笑ましさを覚える。
ドナもまた彼の反応を意外に思ったか、興味深げにそばの椅子へと腰を据えた。
向かいに座るルイスの反応を伺いつつ、私も食器を持つことにした。
「この炒め物はなんですか?」
「ここいらで栽培してる野菜と、裏の林にある山菜を炒めただけだよ。肉や魚は高くてね」
「おいしいです。山菜っていろんな食感があるんですね」
「都会じゃそう食べることはないだろう? 金もかからないし、季節によっていろんな種類があるから飽きも少ないんだよ」
山菜が入っていると言われて初めて気がついた。言われてみれば食感がそれぞれ違う気もする。
ルイスの顔や態度には嘘もお世辞も見えず、そんな彼にドナもだんだんと表情を和らげていっていた。
「僕、干し肉は嫌いだったんです。固いしクセがあるし。こんなに柔らかくなるなんて知りませんでした」
次はスープに口をつけた。確かにドナはいつも煮込み料理は手間をかけており、固い食材も舌で食べられるほどに柔らかくしてある。
密かな手間を言い当てられた彼女は嬉しそうだった。また、嫌いだという者を唸らせるのだからその喜びもひとしおなのだろう。
「食べ物が悪いわけじゃないのさ。作る側がちゃんとそれぞれわかってやって、引き出してやらないといけないんだ」
「そうなんですか? でもほんとに、とっても優しい味だな」と柔和な顔を更にほころばせルイスは絶賛した。
続けて、

「――よく言う、お袋の味ってこんな感じなんでしょうね」

ふとルイスがそうこぼした。
どことなく寂しげな響きを含んだ言葉に、はっとさせられる。
「……手料理はあんまり食べたことないのかい?」
ドナが遠慮がちに尋ねる。ルイスは自分の発言に気付いたようで、ああ、と申し訳なさそうに笑った。
「母は僕を産んですぐに他界したんです。父も戦争で、小さい頃に。だからこういう素朴で温かい料理って食べたことがなくて」
さらりと自らの境遇を明かす。私は意外だった。てっきり、恵まれた家庭で大事に育てられていたとばかり思っていたのだ。
こと施設の者に関してはそう珍しくもないが、一人きりで生きていくのは辛かっただろう。
だが今のルイスには苦労や不満など微塵も抱いていないようだ。
「そうだったのかい」
かく言うドナにも衝撃的だったようで、「余計なこと聞いちまって悪かったね」と眉を下げる。
彼もまた大切な人をなくしている。そのことが決定打となったか、ドナはもはや彼との間に壁を作らなくなっていた。
「いえそんな、僕こそ気を遣わせてしまったみたいで。……でも、ここの人たちが羨ましいな。こうやって温かい料理を作ってくれる人がいるんですから」
先日、彼は施設の者はどこかよそよそしいと嘆いていた。しかしそれは恐らく、彼が軍服を纏っているからだ。
誰とでも分け隔てなく接し、敵国の人間であるかどうかさえも意に介さず、しかも私たちと同じ境遇であるのだ。
それを知ったなら、誰がルイスを排するだろう。少なくとも私なんかよりは歓迎されるはずだ。
いいなあ、と呟く彼の顔はどこか寂しげだった。自分は余所者だから、招かれざる客だからと暗に込めて。
「あんたさえ良ければ、いつでもここに来たらいいんだよ」
そう提案するドナの表情はとても柔らかく、まるで息子を見るように彼を見ていた。
彼女からすれば料理を褒めてくれ、また食べたいと純粋に言ってくれるルイスを嫌う理由などない。
それに、とドナが続ける。
「レンツもずいぶんあんたを信用してるみたいじゃないか。この子はね、あんまり心を開かないんだよ。
 あんたも知ってるとおり、今はいろいろごたついていてね――だけど昨日一昨日よりずっと調子も良さそうだ。あんたがいるからなのかもしれないね」
続けられた話は私に関するものだった。私もいい歳だというのに、ドナは相変わらず私を子ども扱いする。
面と向かって自分自身の評価を受けるのは気恥ずかしく、私はそれをごまかすように手を進めた。

しかし私も不思議に思っているのだ。なぜルイスは私などを気にかけてくれるのか。
彼の社交力があるなら、施設の誰とでも仲良くなれるはずだ。陰気な聾唖の男と一緒にいたところで楽しいはずもないというのに。
ルイスはドナの言葉にやはり、微笑んだ。
「そう、ですかね。そうなら嬉しいです。僕なんて役に立たないばっかりなのに」
僕なんか、という言葉が彼の口から出る。あまりにそぐわない言葉に私は再び驚いた。
自信満々というほどではないが、ルイスはそれこそ私などよりもはるかにきちんとしているではないか。
ドナも「そんなこと言うもんじゃないよ」と彼をたしなめた。……こちらをちらりと見たのは気のせいではないだろう。
ルイスはしかし、目を伏せて首を振った。
「あの事件でこの街に派遣されましたけど、全然ダメですよ。――遺体を見ただけで失神しそうになったくらいなんですから。
 せめてここでの仕事くらい役に立たないと。誰かのために何かしておきたいんです」
あくまでも健気な彼の様子。何も進まないと思ったらすぐに投げ出してしまう私とはやはり大違いだ。違いすぎる。
そんなことはないと私は思わず彼に示した。
今どういう評価を受けているかではなく、重要なのは変わっていこうと頑張ることではないか。何より、私は彼と出会うことでそのことに気付かされたのだから。
ドナも賛同してかそうだよと頷く。
「あんたは少なくともこの子のためにしてくれているじゃないか、ねえレンツ。調子もずいぶん良くなったんだろう?」
今度は私に尋ねてくるドナに、私は頷いた。
未だに自分が病気であると言われると納得はできないが、以前ここで皆に囲まれた時、私は何を考えることもできずただ混乱していただけだった。
ルイスが優しい言葉をかけてくれなければ、きっと今でも自室にこもっていただろう。なぜこうなっているのか、こんなはずはないのだと繰り返しながら。
「あたしには難しいことはよくわかんないけどさ。でも、やっぱり家族が一人ぼっちになってるのを見続けなくちゃいけないなんて、嫌なんだよ。
 覚えてないから何だって言うんだい。それでこの子が何か変わったとでも言うのかね? ……」
他の家族への悪口に転じそうなところで、ドナが一旦口をつぐんだ。
ややあった後、彼女は申し訳なさそうにこちらを見た。
「……いや、あたしも同罪かもね。ここの皆は変化に慣れちゃいないのさ。あたしもあんたがこうやって来てくれないと、ずっと戸惑うばっかりだっただろうよ。
 ごめんね、レンツ。あんたの声を聞いたのも何十年ぶりだったのに。助けてやれなかった。助けようともしなかった」
ドナの謝罪を照れくさく思いながらも聞き入っていた私は、ふいに不可解なことを言われ面食らった。
――私の声?
いつ、私が声をあげたというのだろう。声帯の使い方などすっかり忘れてしまっているというのに。
「でも今こうして話してると、あんたは何一つ変わっちゃいないんだね。ここ何日かのことや昔のことを忘れてるのも、きっと無理がたたったのさ」
戸惑う私をよそに、ドナは一人納得しているようだ。不可解なそれを除けば彼女の言うことも理解できるのだが、その一言のせいでもやもやと違和感が残る。
尋ねてみよう。そう思ってまた胸元を探るも、
「僕には言う資格なんてないのかもしれませんけど、そんなに自分を責めたらいけませんよ。エメットさん」
ルイスが彼女を慰める。ドナはくすぐったそうに「いやだね、ドナでいいよ」とファーストネームで呼ぶことを許した。
話題が転じてしまい、私は違和感をそのままに会話を眺めるほかなかった。
「確かに、ここの人たちは変だなと思うことはありました。過去に何があったのかも知りません。
 だけど、エメットさん――ドナさんはとても優しいと思います。だからドナさんもあまり無理はしないでいいんじゃないですか?」
ドナの優しさは誰もが知っていることだ。そう、私も深く知っている。
私は不可解な単語を問うことは諦めて、頷いた。こんな時こそ声が出せるようになりたいものだ。
文字に書いた感謝の言葉なんて、どれほど冷たいものだろうか。






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