また殺されたのか。今度は三人も。
なんてひどい。こんなの、人間がやることじゃない。
この人たち、あの施設の人たちらしいよ。
施設って言えば、あの丘の上の?
そう。あの、丘の上の。私たちを監視するあいつがいる、あの施設。
殺されたのも、表立って言ってた奴らじゃないか。門番たちも気味悪がってたし、グレアムのとこはあそこの客人に殴られた。
「被害者が残した紙に書いてあったそうです。悪魔に殺される、化け物は悪魔だったって。どういうことなんでしょう」
そう。サミュエルは、確かにそう書いていた。
でも、化け物って、悪魔って、どんな奴がいるっていうんだ。
あそこの奴らはよく言ってたじゃないか。化け物がいるって。あの薄気味悪い奴だよ。
でもあんな細い奴にこんなことできるもんか。
「一人ではなく二人かもしれませんよ」
二人、そうだ、あいつと仲のいい、あの男。噂によると、敵国の奴って話じゃないか。
本当に? ああでも、確かに言われてみれば変な顔をしていた。ここらの人間じゃないだけだと思っていたけど。
敵国なんて、そんな危険な人間をあそこは迎えていたというのか。
悪魔。化け物。化け物はあいつだとするなら、悪魔は誰だ?
「悪魔なんているわけないでしょう。でも、被害者の方はそう思ってはおられなかったのかもしれません」
そう、サミュエルは、サミュエルが悪魔と思うのは。
悪魔なんて、あいつのことに決まっているだろう。私たちの家族を、すべてを奪ったあの憎い敵国の男に。
許せない。
私たちの平穏を、あいつらがここへ来たばっかりに奪われるなんて、許せない。
どうして軍は何もしないんだ。何人も何人も罪のない人たちを殺した悪魔たちに。
罪には罰を。罰が下されないのなら、私たちがやるしかない。
人殺しは許さない。私たちの平穏を乱す奴らを許すわけにはいかない。
行くべきだ。平和を守るために。紛れ込んだ鼠を捕まえるんだ。

血相を変えて飛び出してくるのは、キャスリーン。
その後をわたわたと追う、マギーとレオン。
しかしレオンは、少なくなった群集の中に紛れるその人物を認め動きを止めた。
――なぜ彼がここにいるのか。見開いた目は確かにそう言っていた。
「何事ですか? 僕でよければ、お供します」
そう敬礼する男、ルイスは、帽子の下で深い笑みを刻んでいた。





06:代償





胸が痛い。
締め付けられるようだ。
喉がひゅうひゅう鳴っているのが振動でわかる。いくら息をしても楽になれない。
雨はすっかり上がったはずなのに、林の中は湿っている。湿気がまとわりついて気持ちが悪い。
「――こっち! 休まないで!」
アリアナの大きな手も、じっとりと濡れていた。
足がもつれ、ついていくこともままならないが、私はそれでも懸命に足を押し出す。
アリアナ、グエン、アビィ。
先を行く彼ら。そして、振り返らなくともわかる、私たちを追っているであろう彼ら。
いくつもの木々の隙間を駆け抜け、私は終わりの見えない逃避行に思いを馳せた。

どうしてこうなったのかわからない。
グエンと私は、ルイスと別れたあと施設に戻った。
アリアナもアビィもいない中、取り乱すドナをなだめながら、失せた食欲を押し込めるように朝食をとっていた。
それまではよかった。
しばらくして二人が帰ってきた。ひどく青い顔をした彼女たちは、やはり同じものを見た帰りのようだった。
見ようと思ってはいなかったのだが、朝市に行っていた時運悪くそれを見てしまったのだという。
それまでの出来事を上回る非常事態に、彼女たちの私への気持ちもひとまずは沈静化していた。……私は不謹慎にもそれを少しだけ喜んだ。
サミュエル、ハロルド、そして――どこにも見当たらないのは、ノーマンだという。
神妙な雰囲気の中、私たちはぽつりぽつりと話をした。特に意味のない話。気持ちを落ち着けるためだけの、他愛ない話をした。
そうやって過ごしていると、皆が外が騒がしい、と言い出したのだ。ちょっと見てくるねとアリアナが席を外した。
何か起きたのだろうか、まさかまた何かあったのではないかと顔を寄せる私たち。彼女は驚くほど早くに戻ってきた。
戻ってきたアリアナは、さっきよりも真っ青な顔で言ったのだ。
「逃げよう」と。

なぜ彼らは私たちを追うのかわからなかった。問う機会がなかったのだ。
アリアナは外で何を聞いたのだろう。声を出すことができない私は、メモで意思の疎通を図るしかない。走っているとそれは不可能だ。
勝手口から林を抜け、ただひたすらに走っている。山を越えようとしているのか、それとも関所のほうへ向かっているのかもわからない。
いくつもの瓦礫が通り過ぎた。旧時代の、奇妙な石で――できた建物の残骸。
アリアナは、走りながら、私の手を強く引きながら泣いていた。
「ごめんね。ごめん。信じてあげられなくて」と何度も何度も呟いていた。
信じてもらえなかった、それがなんのことかはやはりわからない。わからないが、私は思った。
多分、もう、遅い。
……わからないことだらけだ。私はなぜ、そう思ったのだろう。そう思っているのだろう。

「ようやく捕まえたぞ、この人殺し」
私たちが皆グエンのような体力があるならよかったのだが、残念なことに彼を除いて皆一般人だ。
しかも私がいる。私はどこまでも足手まといだった。
それに対して、私たちを追う彼らの人数は膨大だ。捕まるのはやはり、時間の問題だった。
先回りをしてきた一団と、後を追ってきた一団にはさまれ、どこともわからない林の中、私たちは群集に囲まれた。
数はおよそ二十人はいるだろう。たった四人に対して五倍の人数。彼らは皆、恐怖と興奮に目をぎらぎらとさせていた。
私たちを取り囲む集団の一人がとても不可解なことを言い、手に持った棒を構え直す。
それは武器としてはあまりに粗末だった。金具さえない単なる棒にすぎないそれは、それだけでも粗末なのに経年のせいでぼろぼろに朽ちてしまっている。
「やめて……モリスおじさん、どうして……?」
はらはらと涙をこぼし、アリアナが呆然と目の前の筆頭に尋ねた。
群集の誰よりも背の高い彼女に後続の者は若干の怯みを見せていたが、その姿を見て安堵したかのように口々に何かを喚き始めた。
「俺はずっと反対してたじゃないか。早く始末するべきだったんだ。こんなことが起きる前に、殺してしまうべきだったんだよ」
男――モリスは狂気に燃えた目をこちらに向けた。その醜い憎悪にたぎった目を見返したとき、私はふいに何かを思い出した。
(呪いが解けてしまうよ)
……背の高い草が生い茂った場所、血なまぐさい臭い、荒い息、湿っぽい音、草原の影で、そう、見てはならないもの。こちらを見返したときの彼も同じ目をしていた。
「馬鹿じゃないの? あんたが悪いんじゃない! 自分のやったことを押し付けないでよ!」
アビィが嫌悪のこもった顔で叫んだ。
「レンツが何を見たって、あんたがやったことは最低のことよ! 気持ち悪い――あんたこそいなくなっちゃえばいい!」
「――うるさい。うるさい! こいつが何も見なければ、こうやってガキに知られることも、馬鹿にされることもなかったんだ!」
そうだろう、とモリスは背後をぐるりと見渡した。
彼らはモリスを、蔑みと同情の混じった目で見ていた。そのことに気付いているのだろうか。いや、気付いてはいるのだろう。私のように、知らないふりをしているだけだ。
誰も彼もが知らないふりをしている。そうしていれば無力な被害者を演じることができるのだから。
各々の臆病さを映し出す、無力な武器の数々が目にうるさい。彼らは自らが手を下すことを恐れ、しかし悪意に逆らえず実に中途半端な凶器を――狂気を携えて喚く。
「俺たちに聖人でいつづけろっていうのか? 過ちくらい誰でもするじゃないか。モリスだってそうだ、ガキは知らないかもしれないが、あの時は仕方なかった、仕方なかったんだ!」
「お前たちがここに来た時もだ。俺は最初から明け渡すのに反対だった。異変がないか監視? お前が監視していたのは、俺たちじゃないか」
「こいつに監視され続けている私たちの苦しみがわかるっていうの? いつもいつも、その気味の悪い目で見られる私たちの恐怖――そう、そうよ。
 あなたたちだって知ってるでしょ。ずっと一緒にいたあなたたちこそよく知ってるはずだわ。わからないなんて言わせないわよ!」
口々に喚きたてる彼らの、口を見ていた。目を見ないようにしていた。
いつからそうしていただろうか。なぜ、目を見ないよう努めて生きてきただろうか。
私は何も見てはいないのに、何も気にしてはいないのに。それでも、私が目を向けた人たちは誰もが怯え、沈黙する。
だから私はいつしか人の目を見ることをやめたのだ。私への嫌悪を知りたくはない。誰だってそうだ。彼らも同じことを考えているのを知っていた。
だがそれは、……ただ知っているだけだったのだろうか。
もしかしたら、私は本当に視えていたのかもしれない。――ついさっきのように。
それならもう、どうしようもないではないか。気取られぬよう盗み見るだけでも、彼らが不安を抱くのは無理からぬことだ。
覗かれているのではないかと、被害者はどこにもいないのだと、悟られ気取られる不快感を誰だって味わいたくはないはずだ。
「わからないね。隠そうとするお前たちの気持ちなんてわかってたまるか。自分のしたことにさえ責任を持てない馬鹿は後ろめたく生きていけばいい」
「あたしは人に言えないことなんてしない! あんたたちみたいな汚い大人とは違う」
グエンが冷たく言い放ち、アビィが決然と言い切った。
アリアナはただ濁った憎悪の波に呑まれ、泣き続けている。いかに体が大きくとも、彼女はまだ十六歳の少女なのだ。
二人の強くまっすぐな姿は、彼らにどう映ったのだろう。憧れやうらやましさといった感情であればと願うが、そんなはずもない。
異質なものを見る目。いかに正しかろうが、少数はどこまでも少数でしかない。
「あんたたちよりレンツの方がよっぽどマシよ! とろくさいし根暗だしヒョロヒョロだけど、レンツはあんたたちのことなんかこれっぽっちも気にしてない。
 なのに勝手に後ろめたくなってるだけじゃない。勝手に憎くなってるだけじゃない! そうやってレンツを憎む前に、自分のやったことを認めたらどうなの!」
アリアナとは正反対の姉。小柄で、幼く、綺麗な金髪をたくわえた少女は、大きな妹の前に立ちふさがって噛み付くように吼えた。
妹を泣かす輩など絶対に許さないという、有象無象の目とは異なった憎悪の光を投げかける。






BACK / NEXT






NOVEL-TOP HOME