「――そこまでだ」

私の聴力を奪った、あの爆撃に似た衝撃がはりぼての鼓膜を走りぬけた。
音を超えたその振動に、思わず体が飛び跳ねる。
――今、私は何を考えていた?
急に意識を戻された感覚に戸惑いつつも、急展開を繰り返す現在を把握しようと努める。

囲まれていたはずの一端が開き始め、その先に険しい顔をした軍人が立っていた。
「今すぐに武器を下ろして手を上げろ。全員速やかに従え。でなければ発砲する」
両手で無骨な武器を構え、温度のない目で周囲に命令するのは、サンディオだった。
手に持った武器からは白い煙が上がっている。――銃だ。滅多にお目にかかれない旧時代の遺物の一つ。
「ふ、……ふざけるな! お前らが無能だから、俺たちがこうやって――」
「――三度目はない。いいか。繰り返すぞ。武器を下ろして手を上げろ。速やかに従え。従わない者はこちらへの悪意があると見做す」
喚く一人に向かって淡々と繰り返した。
冷たくも熱くもない、温度のない目は、命令のためなら人を殺すことも辞さない本物の軍人の持つそれだった。
無機的な目を真っ向から受けた男が怯む。彼から滲む冷徹な殺意を感じ取った者から順に、武器を落とし手を上げ始めた。
丸腰ではあるが私も手を上げてみせる。グエンも大人しくサンディオの命令に従うのが見えた。
「――よし。全員そのままでいろ」
アリアナとアビィを除く全員が挙手したのを確認し、彼は銃を降ろさないままそう告げた。
確保はしないのだろうか。軍がこういった手段をとる時、たいていは拘束し確保するものではなかったか。
些細な疑問が掠めたが、彼の背後を見て納得した。
呆然といった様子でこの光景を見る人物。キャス、マギー、そして――ルイス。最初に見た時ぶりに帽子を深く被っていたが、確かに彼だった。
非戦闘員がいる上に戦闘要員もたった二名では確保できはすまい。おそらく、キャスかマギーの通報を受けて急遽出動したといったところか。
「俺たちが何をしたっていうんだ」と、一人が怒りに抗議の声をあげる。
サンディオは律儀に銃口をきっちりと向け、
「軍には暴動を鎮圧する権限がある。いかなる事情があろうと、暴動を許す法はない」
「殺人犯が目の前にいても、黙って殺されろっていうの?」
彼の説明にまた一人が叫んだ。不安と怯え、無能な軍に対する怒りに濡れた目を向けて。
(――見ないで、私を――見ないで、気持ち悪い、怖い、化け物……化け物)
そう、また思わず目を見てしまった。しっかりと。ちらりと見ただけなら大丈夫なのに、また。
彼女は私の視線を察し、目が合った瞬間小さく息を詰めた。
「人殺しが……人殺しが目の前にいるのに、あんたたちは何もしなかったじゃない! 何もしてくれやしない、だからあたしたちがやるしかなかったのよ!」
ヒステリックに叫ぶ彼女に、サンディオがまた銃口を向ける。
「彼らが犯人だという証拠がどこにある。もし犯人を公開したところで、この暴動はおさまったのか」
「犯人に決まってる! 事実、あいつらが来てからこの街はおかしくなったんだ!」
「この街だけじゃない。家族同然に暮らしてた俺たちを引き裂いたのもあいつらだ!」
再三、不満が暴発し始める。
サンディオは色のない目でそれを一瞥していたが、
「話にならんな」
言うなり足を踏み出した。
絶対的な武器を構えた男に恐れ、人々が彼に道を空ける。
「レンツ・ヴァイルさん」
油断なく周囲に気を払いながら、私を横目で呼んだ。
「あなたを保護します。彼らにはきちんと説明しますので、それまでこちらへ避難していただけますか」
願ってもいない提案。私は即座に頷いた。
なぜこうなったのかについて詳細こそ知らないが、私が元凶であることは嫌でもわかっている。
これ以上、グエンやアリアナたちを危険な目にあわせたくはなかった。
サンディオもまた浅く頷き、そして次は、
「……それと。あなたにも伺いたいことがあります。来ていただけますね? グエン・ヨウニ」
今度は警戒を露わにしてグエンの名を呼んだ。敬称をつけることなく、疑いの目を向けて。
無理はないとわかってはいる。事件うんぬん以前に、軍にとって――すべての国民にとって彼の存在は異質そのものなのだ。
「……」
グエンは手を挙げたまま、答えなかった。サンディオのそれとよく似た、だがもっと冷たい眼差しで彼を睨む。
「一緒に来ていただけますね」
サンディオは用心深くもう一度尋ねた。外していた武器の照準を、気取られない程度、わずかに彼に合わせる。
だがその瞬間、グエンはすばやく身を翻し――あっと思う間もなく木々の陰の向こうへと姿を消した。

逃げた。
グエンが、あのグエンが……逃げた。

一瞬だけ揺れた木々も、すぐにもとの静けさを取り戻す。まるでグエンなど最初からいなかったかのように。
私はただ彼のいた場所を、彼の消えた先を呆然と眺めていた。
信じられなかったのだ。グエンが逃げるなど、想像さえしなかった。
確かに先ほどの仕打ちを考えても、またサンディオの警戒する様子から考えても彼が逃げたのは仕方のないことかもしれない。
だが、逃げてしまうことで、もっと悪いことが起きるとは考えなかったのか。自分は怪しいと主張しているようなものではないか。
敵兵であるルイスにさえ自らの正体を明かし、殺意をむきだしにする群衆に向かって思いの丈をぶちあげるような度胸の持ち主が取る行動だとはどうしても思えなかった。
「……やっぱり逃げたか」
しかしサンディオは予測していたらしく、また最初から追う気などなかったようで、彼の消えた方向を見てそう呟いた。
もう何度目かはわからないが、かすかな疑問がまた私の中に芽生えた。なぜ追うことをしないのだろう?
私としてはグエンを追ってほしくないのは当然だ。だが、看過すべき事態でないこともわかっている。軍は追うべきだ。でなければ彼らのいる意味がない。
なのに、なぜ。
殺害現場で呟いたことといい、彼はやはり何かを隠している気がしてならない。そうでなければ、階級の割に手際が悪すぎる。
「さあ。こちらへ」
言いながら、サンディオが後方へ促す。キャスとマギー、ルイスのいるところだ。
私は歩き出そうとした。

(レンツ)

が、足を踏み出す前に今一度振り返る。
誰かが私を呼んでいる気がしたのだ。
「……レンツ」
実際その通りだった。アリアナが、赤く腫らした目をこちらに向けていた。
私は思わず視線を下へずらし、彼女の口を意識して見るように努めた。……なぜ、今更そうしたのか。
「行かないで。お願い……こっちに戻ってきて」
「そうだよ、そっちに行っちゃ、ダメ」
アリアナ、そしてアビィまでもが、私をそう引き止めてきた。
私は首を元に戻す。
「何やってんだよ、早くこっち来いったら」
マギーが緊張感なく、いや本人は緊張しているのだろうがそう急かしてくる。
キャスは黙ったままだが、やはり唇を引き結んでこちらの様子を見守っていた。サンディオも無表情に私を見据える。
どうすればいい。私は、誰の言葉を聞くべきなのか?

「――施設には戻れないんですよ」
そんな中、ルイスは急かすでもなく、ただ事実を口にした。
施設には戻れない。そう、確かに……戻れはしないだろう。こんな、ひどい状態では。
アリアナたちのところに戻る、それは施設にまた戻るということだ。
戻って何になるというのか。また、皆に迷惑をかけ、不要な軋轢を生ませてしまうだけだ。
再び彼女たちの方を見た。
――怯えた眼差しとぶつかる。それは誰を見ているのだろう。
ああ、目を見ないようにしていたというのに。私は、なんて愚かなのか。目を見ないようにしたのは、知りたくないものが見えるからだろう。それなのに。
それは私を見ていた? それとも他の誰か? 誰かとは、誰のことだ?
違う、怯えているだけなら、いい。それが誰に向かおうともどうだっていい。怯えの対象が私であろうと構いやしない。
アリアナは、アビィはまた、確かにこちらを見ていた。――優しい、情けの篭もった眼差しで。

(私は――私という人間は、そうやって庇護されないと生きていけない、人間以下の惨めな存在なのだと、不完全なものだと――)

(――耳が、聞こえるように、なりたい――)

彼女たちの声や考えは、先ほどのように視えはしなかった。私はそのことに安堵すべきだった。
それなのに、なぜだろう。その目を見た時、今まで感じたことのない悲しさが胸をいっぱいに浸したのだ。
泣きそうだった。年甲斐もなく。先ほど感じたものとは違う、ただただ泣きたくなるような強い感情に押し流されそうになる。
だが私は緩み始めた涙腺を叱咤し、笑おうと努めた。ここ数日すんなり出ていたはずの笑い方をすっかり忘れてしまっていて、ひどくいびつな笑顔だっただろうと思う。
……彼女たちにどう思われようとも、二人はやはり私の家族だ。妹たちだ。
施設に戻れば、さっきのように彼女たちにもその害は及ぶだろう。もしかしたら怪我をするかもしれないし、もっと悪いことになるかもしれない。
さっき私が思ったように、それこそ死を覚悟するような事態になるかもしれない。
悪いのは私一人でいい。私一人が責められることで平穏が保たれるなら。

できたかどうかわからないが、私は笑い、久しぶりに口を開いた。そう、忘れてしまうほど長く閉ざしていた口を。
声には出さない。読唇術を知らない彼女たちに伝わるかもわからない。だが、形だけでも言いたかった。
「ありがとう」と、言いたかったのだ。

「――レン――」
アリアナが何かを言おうと口を開く。私はそれを見届けることなく、サンディオたちのほうへ今度こそ向き直った。
もう振り返りはしない。振り返れば、今度こそ泣いてしまいそうだった。
たとえ誤解が解けたとしても、私はもう彼らにとっての家族ではない。
いや。
最初から家族などではなかった。
グエン、ドナ、アリアナ、アビィ。私を救ってくれたはずの人たちを、私自身がばらばらにしてしまった。
本当ならつながっていたはずの人たちでさえ、私がいることによって引き裂いてしまった。
いるだけで皆が疑心暗鬼になり、憎悪を生む。もし私がそういう存在であるなら、やはり私は化け物や悪魔と呼ばれても仕方ないではないか。
彼女たちが幸せになるためには、家族だと思っていた彼らが平穏に暮らすためには私など邪魔なだけだ。
「……ほら。こっちだ」
キャスが意外なほど優しい手でこちらを促す。
どこに行ったところで、私は他人に迷惑をかけてしまうというのに。私は居場所を変えようとしているだけで、結局何も変わってはいない。
――私はどちらを選べばいいのか。ずっと渦巻いていた問いかけがぴったりと当てはまる。
だが、どちらを選んでも駄目なのだとしたら。この目が、耳が何もかもを壊してしまうというのなら、目も潰れてしまえばよかった。
そうだろう、モリス。
あなたは正しかった。






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