「俺はどうすればいいんだ」
そう言った時、レオンは自分の声がひどく惨めたらしい響きを持っていることに驚いた。
忌々しい砂嵐が吹き荒れ、黄土色の砂が舌にまとわりついてくる。そう、黄土色だ……これほどまでに不気味な色があるだろうか。
それは乾燥した脂の色であり、死にかけた人間が時折見せる死相の色であり、絶望的なまでに広大な荒野の色だ。何もかもを終わらせる色だ。
何よりも忌々しいのはその風のせいで点したマッチの火がすぐさま吹き消えてしまうことだ。レオンは五本目を出したところでようやく煙草に煙をのぼらせることができた。
教会から出てすぐさま彼は目の前を歩く男に尋ねる。
まさしく八方塞がりだからだ。

犯人を検挙しなければ街の者はますます恐慌状態に陥っていくことだろう。だがいくら捜しても、気の狂った怪力のサタニストなどいはしない。
森の中にも、荒野の中にも、どこかの家の壁の中にもいやしないのだ。
「……どうでもよくないことを言うがな。お前、その臭いはもう少しどうにかならんのか。言い訳できる類のもんじゃないぞ」
一連の狂気じみた悪魔崇拝的な事件を起こした犯人は目の前にいる。そしてその彼からは、まるで死者がまとわりついているかのように腐敗臭が――。
そうしてレオンは思い至る。
舌を抜かれ、皮を剥がれた男の姿を。
落ち窪んだ眼窩を丁寧に縫われ、凹凸すらなくなった女の姿を。
そして彼は知っていた。あからさまに逃げ腰の部下をたっぷりと脅し、鼓舞させ、哀願して、絶対に完成しないパズルを必死で組み立てたのだから。
施設にいたあの三人の男たちを組み立てた時、なぜか二人と半分ほどしか完成しなかった。
確かにその作業は諸々の問題によって困難を極めたが、それが原因なのではない。そもそもピースが足りなかった。
レオンの目はのろのろと、彼の肩にある小さな革製の鞄に動かされた。軍支給の携帯ポーチ、そうだ、関門ではこれも一つ消えていた。
「……。どうしてこんなことをする? 予言の通りに行動することで、何の意味がある? 一体、お前は何をしようとしているんだ」
吐き気はない。なくとも、吐きそうな気はする。レオンは注意深く煙を吸い込み、ルイスにそう問いかけた。
犯人はルイス。それはわかりきっている。だがこの男を逮捕するのは不可能だ。それどころか、他者に悟られることすら、あってはならない。
だというのにルイスは平然とこの街に姿を現し、ろくな変装もせずに間抜けな新兵を気取ってこの街に溶け込んだ。
それがどれほどレオンの胃袋を刺激するかなど、彼の興味にはないのだろう。
兵士たちはますます疲弊するし、そろそろ上にも報告を出さねばならない。だが何を報告する? 何もない。現状、捜査は何一つ進んでいないからだ。
これから先どうするか? 犯人は捕まっていない。知っていて放置するレオンをあざ笑うかのように、死体は増え続けた。
「また、殺すのか」
そう問いかけるレオンの口調は非難がましさよりも諦念が勝っていた。きっとそうするだろう。確信がある。
なぜそうするのか、と彼がまた問うと、険しい風と日光に晒されていた後姿がゆっくりと振り返った。
その時レオンはこう思ったものだ。行動原理はさっぱりつかめないが、今だけは新兵の姿をしていてよかったと。
新兵の服装は嫌いだった。明らかに大量生産の、サイズもばらついた粗悪でダサい服を一年ほど着ていたが、あれを早く脱ぎたいがために出世したようなものだ。
しかし今にして見ればそう悪くない。仕立ては確かに最悪だが、帽子がある。何よりもこの帽子がいい。
「ようやく始まるんだよ」
声を聞いただけで、あれほど暑さに参っていた汗腺が一挙に沈黙したのがわかった。
穏やかで上機嫌なねっとりとした声、その声に違わず振り向いた顔は笑っている。そう、帽子があるというのはどれほど素晴らしいことか。目深に被れば口しか見えないのだから。
「ああ、楽しみだな、楽しみだなあ。ずっと待っていたんだ、ようやく始まるんだよ。だから僕が始めないと」
歌いだしそうなほど上機嫌だとは思っていたが、ついには鼻歌混じりになってルイスが言った。
レオンの胃袋がまたきりきりと痛んだ。口に残った煙の味が、からからに乾いたそこでいやに粘ついてくる。
「……何が始まるんだ」
警戒しながら再三問えば、ルイスはやはり彼の質問を無視した。
「あそこに行こう。きっとあそこがいい。ほとんどの人が集まっているからね」
その目はわずかに上を向き、黄色く褪せた視界の向こうにある対岸の山を見ていた。

――更なる生贄が、清い土とともに――

「正気か?」
ついには上ずった声でレオンが相手を非難した。思い浮かぶのは最悪の予想だが、彼の予想が今まで当たったためしはない。ことルイスに限っては特にだ。
ルイスは今まで、彼の思いつく限り最悪の予想をすべて上回ってきたのだ。
しかしいくらルイスとはいえ、そこまでのことをするような男ではなかったはずだ。
少なくとも今までの彼には彼なりの理論があり、根拠があった。そしてレオンはその極々一部でも理解することができた。
今ここにいる男はもはや別人のようだ。何かに取り憑かれているとしか思えない――なぜそんなにも、楽しそうに振舞うことができる――?
「おい、何だってそんな……これ以上は見過ごせんぞ。勝手もこれまでだ。これ以上何かしようってなら」
「君に僕が止められるの?」
「……」
「僕は君にも、誰にも止められない。そうでしょう? ねえレオン、きっと君は止めようとさえ、思ってないでしょう?」
レオンは何も言わなかった。ただ、こんなにも暑いのにさっきから細かな震えが襲ってくるのだけが気がかりだった。
口がひどく粘ついている。じゃり、と音がするのは砂を噛んでいるせいだ。
「君は理由を問うけれど、僕の理由は君には理解できない。僕は無駄なことはしないんだよ」
ルイスが歩み寄ってくると、鼻腔におぞましいあの臭いが充満した。
今に革袋から淀んだ茶色の液体が滴ってきそうなほど濃密な臭気に、初めて吐き気というものを理解する。
影ができ、そして目前にはあの笑んだ口許。臭いが――そしてその源がすぐそばまである。
「レオン。嘘をつかない君は僕の友達だよ。だけどみんながみんな、仲良くなれるなんてことは有り得ない。嘘つきは悪い子、悪い子には罰が当たる。かみさまの罰が」
――ね?
ついにルイスの目が彼をとらえた。
炭さえ燃やし尽くしたような灰の積もった濁った瞳。白内障のような、死者の眼のような色。
ルイスの目にあるものは瞳ではない。水分の篭もった球体である目は光を反射することができるが、彼の目はそれこそ灰のように光を吸収した。
レオンの手の中で燃え尽きた煙草の灰が落ちる。そこに黄土色の風が吹いて、瞬く間に消え去った。







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